2011年10月15日土曜日

キューバ元外相の消息

  社会主義キューバの経済は、ソ連が1991年に消滅し巨額の援助が停止して、1990年代、どん底に陥っていた。ソ連から来ていた石油は、国防や非常時のために備蓄され、電力に代わって人力や牛馬がエネルギーの中枢を占めるようになっていた。キューバ人の誰もが飢えており、餌をもらえない犬や猫はあばら骨が腹から浮き出し、瀕死の毎日を送っていた。
  カストロ体制が革命後最悪の危機に置かれたこの90年代、共産党青年部の37歳の指導者が外相に抜擢され、キューバの政治と外交の表舞台に登場した。その名はロベルト・ロバイナ。「ロベルティーコ」の愛称で呼ばれ、フィデル・カストロから重用されていた。
  私は90年代半ば、来日したロバイナ外相と質疑応答する機会があった。ロバイナには、いっぺんにたくさんの質問を受け、まとめて回答する習慣があった。一問一答形式が望ましいのだが、自信たっぷりのロバイナは「まとめ」方式を記者に強制していた。
  ところが1999年、ロバイナは突然解任されてしまった。キューバの常で、「本当の真相」が発表されることはなく、断片的に入ってくる情報を分析して「真相」に迫るしかない。伝わってきたのは、「夫人が腐敗に関係した」、「忠誠心を失った」、「野心的でありすぎ、将来の最高指導部入りを狙った」などの解任理由だった。
  その後、2002年に共産党からも追放された。外相時代、国家評議会員、共産党政治局員も務めたロバイナからは、想像もつかないほどの凋落ぶりだった。防衛学校で一般人民並の軍事訓練を叩き込まれたり、公園管理の職場をあてがわれたりしている、というような情報も届いていた。
  2005年のこと、ロバイナが絵を描き、それを展示し、作品を売ることもある、というニュースがハバナから流れてきた。ようやく人前に出られるようになったのだ、と私は理解した。それから6年経ったが、本日(14日)、メキシコのミレニオ紙、パナマのエストゥレージャ紙などが、ロバイナの近況をハバナ発AFP電を基に報じたのだ。
  それによると、55歳になったロバイナはハバナに住み、画家として白・黒両色を中心に抽象画を描いているが、2カ月前からハバナのベダード地区でカフェテリアとバーの機能を持つパラダレス(私営食堂)を経営しているらしい。
  AFPは、ロバイナにインタビューしたのだが、「ロバイナは外相時代、外国の実業家や政治家に許可なく接触した。たとえば麻薬犯罪への関与が指摘されていたメキシコ・キンタナロー州の知事から資金をもらってキューバ外務省を修繕した」という趣旨の外相時代の<罪状>にも触れている。AFPは、ロバイナが02年に米テレビ放送との会見で過去の過ちを認めたことも伝えている。
  ロバイナは、「怨念をもっては生きられない。過去に何であったかより、現在何をしているかが重要だ。人生は新聞の1面トップに出ることよりも価値がある」と述懐したという。ロバイナの後任で、はるかに馬力があり存在が際立っていたフェリーペ・ペレス=ロケ外相も09年、突如解任された。「野心的でありすぎた」というのが理由だった。ロバイナの失敗に学ばなかったのだ。

2011年10月14日執筆 伊高浩昭