2011年10月28日金曜日

人道犯罪に時効なし

  ウルグアイ国会下院は10月27日未明、人権犯罪の時効を否定する法案を可決した。法案は既に25日に上院を通過しており、成立した。ホセ・ムヒーカ大統領が28日署名し、発効した。

  この国では1973年から85年まで軍事政権が支配した。その間、ウルグアイ人約200人が軍政によって殺され、多くの市民が拷問された。だが民政移管後の86年、「国家制裁権失効法」が制定され、軍政の犯罪は裁けなくなった。同法の存否は89年と2009年の2度、国民投票にかけられたが、いずれも僅差で存続派が勝ち、今日まで法が生きてきた。

  「失効法」を失効させようという動きは、タバレー・バスケス前政権下で新たに始まった。左翼諸党・政治運動が組織する「拡大戦線(FP=フレンテ・アンプリオ)」が初めて政権党になったからだ。

  FA2代目政権のムヒーカ大統領は、軍政時代に投獄され迫害された経験をもつ。国民投票での勝利が難しいのなら、政権党FAが上下両院で多数派となっている間に「失効法」を葬り去ろう、と努めてきた。

  ところが最高裁は今年5月、「今年11月1日をもって軍政下の犯罪は時効となる」との判断を下した。「失効法」を失効させるための新法の制定は、時間との闘いになった。期限ぎりぎりで成立したわけだ。

  新法には、「国家は、1973~85年の軍政時代の国家テロリズムによる犯罪を断罪できる。国際的に規定されている人道犯罪を裁くのに時効はない」と明記されている。

  軍・警察、保守・右翼、野党などは新法審議過程で猛反対した。国軍参謀長のホセ・ボニージャ将軍は、「11月1日以降ならば、人権犯罪に関する証言が出てくるだろうが、新法が成立すれば、証言は出にくくなる」と口にし、国防相から警告を受けていた。

  先の判断を示した最高裁も、新法に不満なようだ。だが米州人権裁判所は「失効法」の効力を認めておらず、この判断にムヒーカ政権も励まされてきた。
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  私は、都市ゲリラ「トゥパマロス」が軍・警察に戦いを挑んでいた1970年代前半のウルグアイを取材し、85年の「失効法」成立時や89年の国民投票時にも現地で取材した。
                                   
  80年代後半の取材時に首都モンテビデオで、娘を軍政に拉致され殺されるという悲惨な運命に翻弄されていた女性に会った。自宅でインタビューしたのだが、私に、こう言った。

  「あの日の朝、娘は元気よく出て行った。そのまま帰ってきていないから、必ず、ある日の夕方、ただいまって帰ってくるわ」。そして笑顔を見せた。その笑顔は空洞だった。切なかった。

  国民投票の取材中にウルグアイ人のラジオ記者から、「遠い日本のメディアが、なぜ私たちの国の政治状況に関心をもつのか」と訊かれた。私は「民主主義に距離はない。だからです」と答えた。彼は、私とのやり取りを全国にそのまま流した。

  ウルグアイの正式な国名は「ウルグアイ東方共和国=ラ・レプーブリカ・オリエンタル・デ・ウルグアイ」という。大河ラ・プラタの東側に位置するからだ。そのラジオ記者は、「あなたは東洋人、私は東方人。同じオリエンタレスです」と言い、私の手を強く握った。

  ウルグアイの状況は歴史的に、大河の西側のアルゼンチンと良くも悪くも呼応してきた。向こう岸のアルゼンチンの法廷が軍政時代にESMAで起きた人道犯罪を断罪するや、こちら側では「失効法」の対抗法が成立した。今度は見事に呼応した。

(2011年10月28日 伊高浩昭)