2011年12月11日日曜日

ドキュメンタリー映画『ビーバ・メヒコ』

☆★☆★☆メキシコ南東端のチアパス州「ラカンドンの森」を拠点とする「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」のマルコス副司令官は、2006年前半に同州からメキシコ北西端のバハカリフォリニア州ティフアーナ市の米国国境まで車列を組んで旅をし、地元民と対話しつつ遊説する「オトゥラ・カンパーニャ(もう一つの運動)」を展開した。

   その映像を基に09年、この映画ができた。監督は02年からメキシコに住みついているフランス人ニコラス・デフォセー。長さは120分。私は、このドキュメンタリー映画をきょう(12月11日)観た。

   冒頭に、ロサンジェルスの下町でかき氷を売るメキシコ人出稼ぎ労働者の男性が登場する。同様の立場の物売りは、警官に見つかり、商品をごみかごに捨てられ、小さな手押し車を押収される。

   場面は、チアパス州内のEZLN拠点に移る。大勢の支持者に見送られて、マルコス一行が出発する。キンタナロー州の世界的観光地カンクンでは、内外の資産家に海岸地帯の土地を買い占められ、生活権を脅かされている貧しい一家が登場する。一行は、ユカタン州のマヤ遺跡を経て、オアハカ州に移動する。

   風力発電の、あの巨大なプロペラが林立する光景を前に、農民が「あの装置を建設するのに使われた大量のセメントが地中を侵している。いつ自分の土地に汚染が拡がってくるのか、心配でならない」と訴える。

   ナヤリー州では、伝統的な漁港が観光港に改造される工事が進んでいる。豊かなマングローブが海岸に茂っているが、工事が進めば破壊されてしまうかもしれない。抗議闘争を続ける住民組織に、マルコスはチアパス州で作った玉蜀黍を贈る。

   コリーマ州の農民は、場違いな大型の観光ホテルが建って景観が破壊されたのを嘆き、観光客が大挙して訪れる事態を思い描き、生活の場が変遷を余儀なくされるのを憂える。

   ミチョアカン州では、マルコスは先住民に、労働者、農民、青年、教師らさまざまな人民との団結を訴える。老婆は、「地元の人でないのに支援してくれる。家族のような気がする」と、マルコスを讃える。

   ゲレロ州を訪ねてから、首都メキシコ市周辺のメキシコ州に行く。メキシコ国際空港に隣接する同州テスココの近郊には、サンサルバド-ル・アテンコ市がある。政府と州は、同市郊外の広大な農地に新国際空港を建設する準備をしていた。住民は団結して、反対闘争を続けている。

   闘争する男たちは、農作業に使うマチェテ(山刀)を高く掲げて、闘う決意を強く表す。

   マルコス一行はメキシコ市に到達し、目抜きのパセオ・デ・ラ・レフォルマ(レフォルマの散歩道)から、中心街の憲法広場(ソカロ)まで行進する。アテンコ住民も参加した。

   アラメーダ中央公園のベニート・フアレス廟前では、同性愛者や性転換者らとの集会が開かれ、マルコスはあらゆる差別への反対を唱える。彼らと一緒に、メルセーの生鮮食料品市場に移動し、働く人々と会合する。

   そんな時、テスココでは、花などを売る街頭労働者たちが警官隊に販売を阻止され、逮捕されてしまう。近隣のアテンコへの挑発だった。一帯に緊張が走る。逮捕者解放を求める激しい戦いが始まる。政府は、軍隊を投入して弾圧する。

   マルコスは旅程を中断してアテンコ支援に回り、道路封鎖を呼び掛ける。警官隊が出動し、激しく弾圧して、109人を逮捕する。マルコスはアテンコで抗議行進に参加する。

   場面は転じて、ティフアーナの国境の壁になる。マルコスは壁越しに米カルフォルニア州を見渡す。(その視点の彼方に、同胞が生活をかけて苦闘するロサンジェルスがあることを想像するのは容易だ。)

   映画はここで終わる。政府はその後、アテンコでの空港建設を断念した。

   マルコスが「もう一つの運動」を展開したのは、06年7月実施のメキシコ大統領選挙に向けて繰り広げられていた主要3党の大々的な選挙運動に、<真剣なパロディー>で対抗し、弱肉強食の新自由主義が猛威をふるう実態と既存政党・支配層の利己主義や堕落や暴くためだった。

   この選挙では不正が行われ、カルデロン現政権が生まれた。来年(12年)7月1日の次期大統領選挙では、06年に勝利を奪われたアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)が再び出馬し、政権に挑戦する。

   この映画の題名「ビーバ・メヒコ(メキシコ万歳)」は、セルゲイ・エイゼンステイン監督(1898~1948)の同名の映画を連想させる。エイゼンステインは、メキシコ革命13年後の1930年12月から32年1月までの1年余りメキシコに滞在し、膨大な映像をフィルムに収めた。そのほんの一部が1950年から79年にかけて「メキシコ万歳」として公開された。

   デフォセーにとっては、ドキュメンタリーが綴る生々しい現実こそが、今様の「メキシコ万歳」なのだろう。

(2011年12月11日 伊高浩昭執筆)