2012年2月29日水曜日

カストロ兄弟の姉アンヘラ死去

▼▼▼フィデル、ラウールのカストロ兄弟の姉アンヘラ(アンヘリータ)・カストロ(88)が2月28日未明、ハバナの病院で死去した。マイマイ在住の実妹フアーナ・カストロが同日、ウェブサイト「マイアミ・カフェ」で明らかにした。

▼それによると、アンヘラは長らく闘病生活を送っていた。葬儀は3月1日、生まれ故郷のオルギン州マヤリー市ビラーンで行なわれる、という。

▼フアーナは革命後、カストロ政権の共産化に反対し、CIAの協力者になったが、64年6月メキシコ市に脱出し、その後、マイアミに住んできた。一度も帰国したことはなく、葬儀にも出ないという。

▼カストロ兄弟は、フアーナから見て、姉アンヘラ、長兄ラモーン、次兄フィデル、末兄ラウール、フアーナ、妹エンマ、末妹アグスティーナの7人。初めて一人が欠けたことになる。

▼フアーナは、革命キューバに反旗を翻したため、メキシコ在住のエンマを除き、他の5人とは絶縁状態にあった。

ベネズエラ政府が経過良好と発表

☆★☆ベネズエラのエリーアス・ハウア副大統領は2月28日、同国国会で、ウーゴ・チャベス大統領は27日手術を受け成功裡に終わり、容体は良く、数日間養生する、と発表した。

★チャベスは、開腹手術で、腰部に見つかっていた患部と周辺組織を除去された。

☆ハウアが「経過は良好」と述べると、政権党「ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)」の議員と、傍聴席の支持者たちは起立して拍手した。傍聴席からは、「ウ・ア・チャベス・ノ・セ・バ」(チャベスは去らない=辞めない)の掛け声が巻き起こった。

★副大統領は、「ベネズエラ人民の名において、フィデル、ラウール、キューバ人民に感謝する」とのチャベスの言葉も紹介した。再び大きな拍手が起きた。

チャベス大統領が開腹手術受ける

▼▽▼ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領(57)は2月27日、ハバナで腰部の外科手術を受けた。医師団に近い筋の情報として、英ロイター通信社が伝えた。手術は90分続いたという。

▽一方、ブラジルのオグロボ紙コラムニスト、メルヴァル・ペレイラの情報によると、腰部の切開手術は予想よりも複雑だった、という。

▽医師団は、ロシア、ブラジル、キューバなどの医師たちで構成されているもよう。手術は、外科医療研究所(CIMEQ=シメック)で行なわれたと見られている。ここでは2006年にフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)が「腸内出血」で倒れた際、手術を受けている。

▽一部情報によると、大統領の癌はリンパ節に転移している可能があるという。

2012年2月28日火曜日

映画「プリピャチ」を観て

☆★☆★☆ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発で1986年4月26日、大事故が発生した。原発から4kmの地点には、土地の人々や原発労働者らが住んでいた町プリピャチがある。死の街と化した、この町を含む<ゾーナ(区域)>と呼ばれる、半径30kmの立ち入り禁止区域には、被曝の危険を意識しながら住む人々がいる。その人たちの生きる姿を描いたドキュメンタリーだ。

★ニコラウス・ゲイハルター監督らは、事故後12年経った1998年から99年にかけて現地で撮影し編集し、この映画を99年に完成させた。オーストリア映画で、モノクロ、100分。3月3日から東京の渋谷アップリンクほか、全国で順次公開される。

☆試写会で観たが、インタビューされた、さまざまな立場の十数人が静かな画面で語る映像の連なりに、鬼気迫るものを感じた。

★福島原発の大事故から一周年の時期に日本で公開される意味を考えながら、観ざるを得ない。福島の25年前に起きたチェルノブイリは、日本人の教訓になっていなかった。だから一層、鬼気迫るのだ。

☆そして、福島が今後、日本人と諸国の人々の教訓になりうるかと考えると、心もとない。だから鬼気迫るのだ。

★ゲイハルター監督は、この映画で政治的メッセージを発しないよう注意深く配慮している。観客が自由に判断できるようにするためだろう。ドキュメンタリーではあっても、芸術性を忘れなかったからでもあろう。

☆日本の<プリピャチ>=福島の廃墟から、このような優れたドキュメンタリーが日本人監督の下で制作されんことを期待する。

2012年2月26日日曜日

アルゼンチン大統領が南米全首脳を招く

▽▼▽アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)大統領は2月25日、南米諸国連合(UNASUR=ウナスール)の亜国以外の加盟11カ国の大統領を、マルビーナス戦争開戦30周年記念日の式典に出席するよう招待した。

▼式典は、記念日の4月2日、亜国南端のティエラデルフエゴ州都ウスアイアで催される。亜国政府は、マルビーナス諸島(M諸島、英国名フォークランド諸島)をはじめ南大西洋の3諸島はティエラデルフエゴ州に属する、との立場をとっている。

▼CFK政権は、英国の植民地となっているM諸島などの回復を外交の中心に置いており、国際世論を味方につけて<国土回復>を実現させようと努めてきた。

▼30年前の戦争は、人道犯罪を糾弾され、かつ経済破綻に陥っていた亜国軍政が、失地回復を図るためM諸島を急襲したのに始まる。亜国軍は一時的に<奪回>に成功したが、サッチャー英政権は海軍艦隊と空軍を派遣し、6月亜国を降伏させた。

▼亜国政府は、この苦く屈辱的な経験踏まえて、外交による3諸島奪回を目指し、外交戦を繰り広げてきた。

ピースボートがハバナ入港へ

☆★☆日本のNGOピースボート(PB)の世界周遊船が3月1日、ハバナ港に入港する。キューバの人民友好庁(ICAP=イカップ)が2月24日発表した。キューバのメディアは同日から25日にかけて一斉に報じている。

☆この75回航海船には日本人約1000人が乗っており、広島と長崎の被爆者も乗船している。ハバナの会議殿堂では「世界被爆者フォーラム」が開催され、日本人乗客のかなりの部分が参加するもよう。

☆PBのキューバ入港は15回目。国営通信プレンサ・ラティーナは、前回2010年9月の入港時には、「キューバ革命の指導者」フィデル・カストロ前議長が会議殿堂で日本人乗客約700人と会合したことに触れている。

☆フィデルは議長だった2003年3月初め広島を訪れた。印象は強烈だったようで、その後、折に触れて被爆と被曝の悲惨さを強調し、核兵器廃絶を訴えてきた。

☆今航海のPB船上代表は、村石由里弥クルージングディレクター。「フォーラム」には、吉岡達也PB代表、核兵器・原子力の専門家の川崎哲PB幹部らが出席するもよう。

2012年2月25日土曜日

チャベス大統領が手術のためキューバ入り

▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は2月24日夜、ハバナ空港に到着し、ラウール・カストロ国家評議会議長の出迎えを受けた。チャベスは昨年6月ハバナで受けた腰部の癌腫瘍除去手術の部位に新たな<損傷>が見つかったため、再手術に臨む。

ーーー手術は25日の診断を経て、26日以降行なわれると見られている。

ーーーチャベスには外相、保健相、実兄アダン・チャベス(バリーナス州知事、元キューバ駐在大使)、実娘2人が同行している。

ーーーこの日チャベスは、カラカス国際空港に向かう際、沿道を埋めた支持者たちに、車の開閉式天井から手を振り挨拶した。空港では、「癌の有無に拘わらず、雨が降ろうが雷鳴が轟こうが、10月7日の大勝利を阻むことのできる者はいない」と、次期大統領選挙での必勝を誓った。

ーーーさらに、「これまでにないほどの命を備えて帰ってくる」と述べ、軍部に「留守中よろしく」と声を掛けた。

ーーーハバナ到着後、ベネズエラ国営テレビに電話で、「見送りと連帯をありがとう」と支持者に謝意を伝えるとともに、「信頼と希望にあふれている。癌を打ち負かす。カラボボの戦い200周年の2021年を見据えている」と、長期政権を目指す意欲を強調した。

2012年2月24日金曜日

ペルーが日本大使公邸解放時の事件で反論へ

▼▼▼1997年4月22日、リマの日本大使公邸がペルー軍・警察の特殊部隊によって解放された際、前年12月から公邸を占拠していたゲリラ「トゥパック・アマルー革命運動(MRTA)」のコマンド14人は全員射殺された。ところが、コマンドの数人は生きて捕えられた後に殺害された、との目撃情報があった。

▼人質だった日本大使館員・小倉英敬書記官(現・大学教授)は、ゲリラの一人エドゥアルド・クルス=サンチェスが生きて捕えられていたのを目撃した、と証言してきた。法医学者らによる検死で、「法律外処刑」だったことをうかがわせる事実が確認されたという。

▼コスタ・リカの首都サンホセにある米州人権裁判所は、これらの証言や判断を基に、ペルー政府に対応するよう求めていた。フアン・ヒメネス司法相は2月23日、ペドロ・カテリアーノ元副司法相ら弁護士3人を代理人に指定したことを明らかにした。

▼司法相は、「法律外処刑でなかったことを示す証拠がある」と語っている。

2012年2月23日木曜日

キューバがクローン人間製造を禁止

☆★☆キューバ政府は2月21日、クロ-ン人間製造を法令で禁止した。

▽併せて、内臓をはじめ人間の器官や肉体の部分のクローン製造も禁止した。

▽さらに、胚の産業利用を禁止した。

チャベス大統領が再手術へ

▼▼▼腰部の癌と闘っているベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は2月21日、「近くハバナで手術を受ける」と明らかにした。週末にもハバナに向かう公算が大きい。

▽国営テレビ(TVT)による電話インタビューで語ったもので、「昨年6月ハバナで手術した部位に2センチぐらいの傷が見つかった」ためという。

▽「それが悪性か良性かわからないが、手術を受けることになった。悪性ならば、また放射線治療を受けなければならなくなり、活動が妨げられることになる」と述べ、公務に支障を来す可能性を示唆した。

▽一方、コロンビアの専門医師は同国のエル・ティエンポ紙に対し20日、「チャベスは、癌の腫瘍が大きかったため化学療法と放射線治療を併せて受けた。術後、体が膨張したように見えたのは、ステロイドを採ったためだろう」と、これまでの経過を分析してみせた。

▽そのうえで、「新たな傷の発生自体は転移を意味しない。だが手術は範囲が拡がる可能性があり、膀胱にまで及ぶかもしれない」と語った。

▽ベネズエラでは10月7日に次期大統領選挙が予定されており、チャベスと右翼エンリケ・カプリレスの左右一騎討ちとなることが決まっている。

▽チャベスの新たな手術は、長期政権を目指すチャベス陣営の頭上に暗雲が立ち込めることを意味する。

2012年2月22日水曜日

ファビオ・ハーゲルのセステートタンゴを聴く

☆★☆今年43歳になる亜国タンゴ界の中堅ファビオ・ハーゲル以下セステート(6人組)の奏でる「タンゴ・ドゥラマティコ(劇的タンゴ)」を2月21日夜、大宮で聴いた。踊り3組、女性歌手1人を加えた総勢13人の亜国人が繰り広げる贅沢な時間だった。タンゴ好きならば、聴き落とすべきではない。

 ☆タンゴも、セステートとなれば、オルケスタ・ティピカ(標準編成楽団)のだいたい半分で、耳にそれなりの重量感を醸す。

☆最年少のチェロ奏者は今年25歳になる若者で、タンゴを奏でるには人生経験の積み重ねが必要だが、若者が演奏している事実はタンゴが未来に引き継がれていく可能性を示し、心強い。

☆本場ブエノスアイアレスでも(モンテビデオでも)、タンゴを職業とするタンゲーロたちの生活は厳しい、とハーゲルは「LATINA」のインタビュー記事で語っている。

☆我々日本人、とりわけ年配者にはタンゴ愛好家が少なくない。日本は世界でも有数のタンゴ市場であり、日本人が亜国のタンゲ-ロたちの生活の一部を支えている。これは素晴らしいことだと思う。

☆大宮の会場では、いつになく若い娘さんたちの姿が目に付いた。彼女たち、そして若い男性らがタンゴ好きに成長していけば、日本のタンゴ文化は継承される。そう願いたい。

☆タンゴを理解し愛するということは、相当に洗練された感性をもっていることを意味する。心が乾燥し切った若者の多い日本の都会に、タンゴで心が潤った若者が増えるのを期待する。

☆ともかく、このセステートは若い。バンドネオンのハーゲルとピアノのセサル・ガルシアが43歳になるところで、あとは第2ビオリン=ヴァイオリン38、第1ビオリン31、コントラバス30、チェロ25だ。歌手ノエリア・モンカーダは32、踊る3組は、激しい絡み踊りに耐えられる青年男女だ。

☆重厚さの代わりに、若い希望が感じられた。だが、大宮の観客2300人が埋め尽くした大劇場でなく、ブエノスアイレスの場末のタンゲリーアでこのセステートを聴くならば、重厚さも味わえるに違いない。もともとタンゴは、狭い空間で奏でられる孤独な音楽なのだ。

☆ハ-ゲルが年長者たちと一つの楽団で演奏するのを、一度聴いてみたい。そう思った。

☆今回の公演は1月22日から3月23日まで、北海道から沖縄まで旅をしながらの、計39回の一大興行だ。亜国・日本間の空の旅も楽ではない。若さが必要なのは確かである。

【参考:月刊「LATINA」2012年3月号「ファビオ・ハーゲル公演レポート及びインタビュー」】
※今後の公演日程は、ラティーナ社に問い合わせを。http://www.latina.co.jp

2012年2月20日月曜日

【続報】 エクアドール大統領が「名誉棄損」裁判に勝つ

★★★「市民革命」を掲げるエクアドールのラファエル・コレア大統領は、先月半ば、施政5年を経た。依然支持率は高く、来年1月の大統領選挙での新たな勝利が有望だ。しかし「革命度が落ちた」との批判が高まっており、左右両翼は対抗馬を立てる構えだ。

コレアは、伝統的支配階層の立場を代弁する保守紙を敵視し、裁判を通じて厳しい制裁措置を科している。大手紙エル・ウニベルソを「名誉棄損」で訴え、その裁判は最高裁に持ち込まれていたが、2月15日、判決があった。

下級審は、同紙の編集主幹カルロス・ペレスら重役3人と、意見面編集者エミリオ・パラシオに禁錮3年の実刑と、計4200万ドルの罰金の支払いを科していた。この判決は最高裁判決で確定した。

パラシオは、コレアを攻撃する挑発的な署名記事を書いて、名誉棄損で断罪された。既に去年8月出国し、マイアミに滞在中で、米国への亡命を申請中だ。

ペレスも、2月16日、キトのパナマ大使館に亡命した。他の2人の重役はペレスの兄弟で、既に米国に去っている。

エクアドールをはじめラ米では、「名誉棄損」か「言論弾圧」かで議論が起きている。

一つ言えるのは、言論人が誹謗中傷と受け取られかねない記事を書き、追及されると、多くが簡単に<聖域・米国>に逃げ去ってしまうという安易さだ。これでは、あたかも言論人と米国がつるんでいるような印象を与えてしまう。ラ米の言論人がそのようであるとすれば、ラ米の自立は覚束ない。

【続報】コレア大統領は2月27日、最高裁判決で禁錮刑と罰金刑が確定していたエル・ウニベルソ紙の4人を赦免する、と発表した。また、コレアの実兄の絡んだ<不正受注事件>を指摘した『エル・グラン・エルマーノ(偉大な兄弟)』の著者2人に対する告訴を取り下げた。


[参考:月刊「LATINA」3月号(2月20日刊)掲載「ラ米乱反射第73回『国家は復権したが、「新開発主義」が大資本潤すーエクアドール「市民革命」の変質に批判』]

映画「オレンジと太陽」を観て

☆★☆★☆ジム・ローチ監督の作品「オレンジと太陽」(原題「オレンジ・アンド・サンシャイン」、2010年、英豪合作、106分)を試写会で観た。原作は、英ノッティンガム在住のソーシャルワーカー、マーガレット・ハンフリーズの著書『からのゆりかご-大英帝国の迷い子たち』。

   ★4月14日から東京・神田神保町の「岩波ホール」をはじめ、全国で順次公開される。

   英国政府が児童養護施設などに預けられた白人児童を長年にわたって、制度的に旧英植民地(その後の独立国)に移住させていた史実を、移住先を豪州に絞って描いている。

   1973年まで存続していた悪名高い人種差別政策<白豪主義>の一端を強制的に担わされていたのは、不幸な子どもたちだった。この過酷な歴史的事実を突きつけられ、胸が痛んだ。

   この事実を暴き出した原作を踏まえた、極めて重要にして重厚な劇映画である。

   豪州政府は09年11月16日、英国政府は10年2月24日、それぞれ事実関係を認めて、首相が国会で謝罪した。

   是非、観ることをお勧めしたい。だから内容には触れない。主演エミリー・ワトゥソンが独自のマーガレット・ハンフリーズを創り出している。

   原作の邦訳書は、日本図書刊行会発行、近代文藝社発売で刊行されている。

   この映画について紹介する日本語の冊子は、内容豊かな秀作だ。付記しておきたい。

   この<児童移民>の史実から私が想起したのは、キューバ革命翌年の1960年11月、CIA、カトリック教会などの陰謀で、キューバ人児童1万4000人が米国に連れ出され、その多くが不幸な人生をたどることになった<ピーターパン作戦>である。

   この<作戦>の犠牲者と、切り離された親族の過去半世紀余りの生き方をジム・ローチのような監督がたどれば、優れた作品が生まれることだろう。また、それによって、当時の米当局の関わった策謀があらためて暴き出されることになるはずだ。

        映画であろうが、調査報告であろうが、制作されねばならない。<ピーターパン作戦>という人道犯罪の第一義的な責任者である米国人と、子供を連れ去られた当事者キューバ人が協力して解明すべき歴史的課題である。

2012年2月16日木曜日

キューバが米州首脳会議参加を希望

▽▼▽LAC(ラ米・カリブ)8カ国の連帯と相互援助のための組織「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」は2月15日、ハバナで特別外相会議を開き、キューバの第6回米州首脳会議への出席を支持することで正式に合意した。この首脳会議は4月14、15両日、コロンビアのカルタヘーナで開かれる。

    同首脳会議は、米州諸国機構(OEA/OAS)加盟の34カ国の首脳が出席する会議。OEAを1962年米国の主導で追放されたキューバだけは、除外されたままだ。

    OEA外相会議は09年ホンジュラスでの会議で、62年の追放決議を葬り、キューバのOEA復帰に道を開いた。ただし米国は、<キューバの民主化>が復帰の条件だと注文を付けた。

    昨年12月3日カラカスで、米加の北米両国を除くLAC33カ国は、「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」を創設した。キューバも原加盟国である。

    今ALBA外相会議でキューバのブルーノ・ロドリゲス外相は、「招かれれば米州首脳会議に出席する用意はあるが、OEAに復帰する意思は毛頭ない」と明言した。

    OEA加盟国の首脳会議へのキューバの参加問題が大きく膨らんだのは初めてだ。それは今月4~5両日カラカスで開かれた第11回ALBA首脳会議で、エクアドールのラファエル・コレア大統領が4日、「米州首脳会議にキューバが招かれない場合は、ALBA全体で出席するのをやめよう」と提起したことによる。
  
    米国は、キューバの出席に直ちに反対した。

    困惑したのは開催国コロンビアで、外相がキューバを訪れ、キューバの意思を確認するとともに、ALBAの盟主ベネズエラ、問題提起したエクアドールの両政府と協議した。その結果、キューバ出席の可否は開催国の一存では決められず、加盟国の合意形成が必要だとして、外交工作を開始した。

    ALBA外相会議は、コロンビアを困らせないため、「キューバ招待がなければALBAは出席しない」との立場を最終宣言には盛り込まなかった。

    OEA加盟34カ国のうちの32カ国とキューバはCELACに加盟する。その33カ国には、「LACの前衛」を自任するALBA8カ国が居る。このOEAーCELAC-ALBAの<3重構造>が、米州の政治・外交地図を複雑にしているのだ。

    キューバの「米国のLAC支配の道具OEAへの復帰はありえない」との立場は、以前とまったく変わらない。変わったのは、OEA首脳会議への出席を望んでいることだ。

    ラウール・カストロ議長は、市場原理を取り入れた経済改革を慎重に進めているが、その最大の外部的障害は、半世紀を超えた米国による経済・貿易・金融封鎖である。ラウールには、この封鎖を大幅に緩和させたい狙いがある。それを米大統領が出席する米州首脳会議の場で訴えたいのだ。

    しかしバラク・オバマ大統領は11月に再選をかけた大統領選挙を控えており、フロリダ州をはじめとする反カストロ派のキューバ系有権者の多い地域で票を減らしたくない。キューバ出席問題は、オバマの再選戦略にとっても極めて厄介な問題なのだ。

【参考資料:拙稿「揺れる米大陸の<南北関係>」=毎日新聞2月6日夕刊第4面掲載=】

2012年2月15日水曜日

フェルナンド・バジェホ『崖っぷち』を読む

☆★☆コロンビア人作家フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』(エル・デスバランカデロ、久野量一訳、2011年12月、松籟社)を読んだ。物語の展開がほとんどない、饒舌で衒学的な独り言の連なりだ。

     取り立てて面白いわけではない。だが、つまらなくもない。中編の長さであり、読み始めたら、読み終えるのは苦痛ではない。

     生まれ故郷のコロンビアのかつての<コカインの首都>メデジンが中心舞台で、首都ボゴタ、作家の居住地メキシコ市、過去に滞在したニューヨークが追想という遠近法で描かれている。もちろん、故郷メデジンについても、メキシコ市から距離的な遠近法を使って書いている。

     私が記者時代に会ってインタビューしたことのあるコロンビアやメキシコの大統領、芸術家らが何人も登場する。これだけで未消化、かつ生硬となり、読む気を殺がれて、普通の小説ならば放りだしてしまう。

     ところが、この小説は、けれんみを感じさせない。ある意味で、ヘンリー・ミラーのように、これでもか、これでもかと同類、同次元の事象を並べつづけることによってできる群のなかにうまく納まっていて、案外、固有名詞が自然に読み過ごせるのだ。

     この作家の筆致には、べらぼうな魅力がある。だから、読みとおすのが苦痛ではない。

     訳者は巻末で、バジェホを「現代ラ米文学で最も挑発的な作家」、「一言でいえば<否定の文学>」と解説する。この「訳者あとがき」は、面白いから、これ以上は触れない。

     数年前、東京麹町のセルバンテスセントロで、コロンビア人若手・中堅作家3人の座談会のような会合を取材したことがある。

     「ガブリエル・ガルシア=マルケスやマリオ・バルガス=ジョサら<ラ米大作家時代>の先人たちが上に居るので頭打ちになっている。いかに彼らを超えるかが、深刻な問題だ」。こう口々に言っていた。

     バジェホの作風は、そんな大作家たちの<対極>にあるという。どうせなら、ローマ法王をこてんぱんにやっつけているように、大作家たちの実名を挙げて、こっぴどく痛めつけるべきではなかったか。そんな感想をもった。

2012年2月14日火曜日

キューバの社会状況ルポを「世界」誌が掲載

☆★☆月刊総合誌「世界」(岩波書店)3月号(2月8日発売)が、キューバ庶民の生活状況を克明に伝える興味深いルポルタージュを掲載している。工藤律子・篠田有史コンビの記事。このところ3回、この二人の仕事を紹介したが、たまたま同時期に掲載が続いた結果である。

    ラウール・カストロ議長の現体制は、市場原理を導入しての経済改革を徐々に進めつつある。傍目には極めて慎重な改革と映るが、長年、<平等主義>社会に生きてきたキューバ人にとっては、決して微々たる変化ではない。日常生活に、もろに響くからだ。

    その<変化の波>に上手に乗った者、乗れない者の生活格差を、ルポは浮き彫りにする。

    このようなマクロの状況を見据えつつミクロに焦点を当てていく手法は、ジャーナリズムの一般的な状況への接近法であるが、キューバ社会の実態を押さえるのに不可欠な手法だ。

    1年後、2年後に、ルポの続報を読みたいものだ。

ベネズエラ野党統一候補決まる

☆★☆ベネズエラの野党連合「民主連合会議(MUD)」の統一大統領候補に2月12日、39歳のミランダ州知事エンリケ・カプリレス=ラドンスキが決まった。この日の予備選挙で、他の4候補を引き離して当選した。予備選挙による統一候補選出は、ベネズエラでは初めて。

    10月7日実施の次期大統領選挙で、ベネズエラ統一社会党(PSUV)の現職ウーゴ・チャベスとの一騎打ちに臨む。チャベス大統領は世論調査で50~60%の支持を得ている。

    カプリレスは独身の弁護士で、キリスト教民主主義の政治運動「プリメロ・フスティシア(公正第一)」を率いる。ユダヤ系ポーランド人の血を引く。

    この国の有権者総数は1800万人だが、予備選挙には290万人(16%)が参加。カプリレスは180万票(64%)を獲得した。

    ブラジルのルイス・ルーラ前大統領の「中道左翼路線」を自称する。チャベスと正面から対決せずに、チャベスの改革政策の一部を取り入れつつ、チャベス支持に懐疑的な層を取り込む戦略とされる。

    チャベスは野党統一候補が決まると、「ヤンキー(米政府)の候補だ。テクノクラートの言いなりだ」と批判した。

2012年2月12日日曜日

フィデル・カストロが知識人と9時間会合

☆★☆キューバのフィデル・カストロ前議長(85)は2月10日、ハバナ市内の会議殿堂会議室で、22カ国の知識人数十人と9時間にわたって話し合った。

     知識人たちは、ハバナ書籍見本市(2月9~19日開催)を訪れていた。亜国人平和運動家(ノーベル平和賞受賞者)アドルフォ・ペレス=エスキベル、伯国人修道士作家フレイ・ベト、西国人ジャーナリストのイグナシオ・ラモネ、亜国人作家ミゲル・ボナッソら、「人類擁護ネットワーク」の知識人たちだ。

     フィデルは、出席者が提起したラ米と世界のありとあらゆる問題に耳を傾け、意見を述べた。開発、環境、シリア、イラン、ジャーナリズム、文化、キリスト教などの問題が提起された。

     フィデルは、「仮に地球の生命があと10年だと分かったとしても、最後まで闘いつづけなければならない。悲観主義に打ち負かされてはならない。それは我々の義務だ」と語った。

2012年2月11日土曜日

亜国政府高官がスペイン司法を糾弾

▼▽▼アルゼンチン法務人権省人権次官エドゥアルド・ドゥアルデは2月10日、バルタサル・ガルソン氏への公開書簡で、スペイン最高裁をはじめ同国司法体制を次のように糾弾した。

    「人類の偉大な価値のために闘ってきた倫理の人にして誠実な判事ガルソンと、少数派利権の操り人形に成り下がった小人たちの間の、この隔たり!」

    「糾弾されるべきはガルソンではなく、醜聞的判断をしたスペイン司法体制だ」

    「最高裁は、フランコ体制の暗い過去の記憶の守り神であることを露呈した」

    一方、「五月広場の母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長は同日、ガルソンの身分回復を求めて欧州人権裁判所に訴える、と表明した。

    ガルソンは、亜国軍政による人道犯罪を裁くのに貢献したことから、亜国内で高い評価を受けてきた。

バルタサル・ガルソン氏、判事生命絶たれる

▼▼▼▼▼<世界1有名な判事>、スペインのバルタサル・ガルソン判事(56)が2月9日、同国最高裁で、11年間の資格剥奪という極めて重い刑罰を科せられ、実質的に司法界から追放された。

    スペインには、右翼の政権党PP(国民党)の地方政治家、実業家、公金などが絡んだ広範な贈収賄事件「グルテル事件」があった。主犯格とされる実業家フランシスコ・コレアの姓コレアは「皮帯」を意味するが、ドイツ語では「グルト」で、ここからコレア絡みの事件を「グルテル事件」と呼ぶようになった。

    ガルソンは、2009年に事件の審理を開始したが、調査の過程で、事件に関与し収監されていた人物と弁護士との会話を録音するよう命じていた。これが発覚して判事は10年5月、「被告の権利を侵した」容疑で裁かれ、今回最高裁判決が出た。

    判事はほかにも、スペイン内戦中からフランコ独裁下にかけて失踪(抹殺)させられた人々に対する犯罪責任を問う裁判のための調査をし、この巨大な人道犯罪を「裁くことができる」と一方的に宣言した。1977年の恩赦法で赦免された責任者の多くはすでに死んでいるが、ガルソンは特定した責任者が実際に死んでいるか否かを墓地まで含めて調査した。

    司法当局は、そのようなガルソンの言動が「意図的になされた不当な判断」と見なした。これに呼応するかのように、フランコ独裁の流れを組む極右結社「フエルサ・ヌエバ(新勢力)」の幹部がガルソンを告訴した。判事は、この裁判の被告にもなった。さらに「不正収入」でも起訴された。

    ガルソンは判決を受けて、「弁護権が制度的に侵された不当な裁判だった」と述べた。また「今後は法的手段をとり、誤った判決を究明していく」という趣旨の決意を明らかにした。

    判事の弁護士は、「残された手段は憲法裁判所や欧州人権裁判所(仏ストラスブール在)に訴えることだ」と述べた。

    判決後、首都マドリードをはじめ、全国各地で抗議行動が起きた。緊急世論調査では、3分の2が不当判決と答えた。「会話傍受」は言い訳で、裁判の背後にある国・政府の真の狙いは、内戦から独裁期にかけての人道犯罪裁判を封じ込めること、との見方が拡がっている。

    ガルソンは、スペイン国内での政治的裁判で名を知られていた。世界的に有名になったのは、1998年ロンドンに滞在中だったチリ軍政時代の独裁者アウグスト・ピノチェー(故人)の逮捕を、当時のブレア英政権に要請した時。ピノチェーは長期間、ロンドン市内で軟禁された。

    判事はピノチェーの身柄の引き渡しを求めたが、結局はチリに帰された。ピノチェーの権勢は急速に崩れ、人道犯罪と公金横領罪で司法から追及され、失意のうちに死んでいった。

    ガルソンは、アルゼンチン軍政の人道犯罪を裁くのにも貢献した。

    判事にとって不幸だったのは、昨年末にPP政権が復活したことだ。「グルテル事件」はPPの汚点だった。またPPはフランコ派の2世、3世らの政党であり、フランコ体制の流れを汲む。内戦の<勝利者>側にあるが、それだけ人道犯罪に深く関与した側でもある。彼らにとって、過去の人道犯罪を裁こうとしたガルソンは、「許し難い敵」だった。

2012年2月8日水曜日

アルゼンチン大統領が「M諸島の大義」強調

☆★☆アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)大統領は2月7日、首都のカサ・ロサーダ(大統領政庁)で、与野党国会議員、州知事、外交官、労組幹部、元軍人らを前に演説した。英国の植民地となっているマルビーナス諸島(英国名フォークランド諸島)など南大西洋3島嶼地域の領有権の平和的奪回を大義として強調し、今年前半、国連を中心に大義を力強く訴えていく方針を明らかにした。

    1982年4月2日にM諸島などの領有権奪回のため英国に戦争を仕掛けた亜国軍政は、同年、開戦原因などを分析する「ラテンバッフ報告」を作成した。だが軍政に厳しい内容であることから、極秘書類として保管されてきた。

    83年に民政移管が実現すると、雑誌が「報告」全文を掲載するなど、内容は既に秘密ではなくなっている。だが歴代の文民政府は、極秘扱いを解除していなかった。

    CFKは演説で、極秘扱いを解除した。これは、政府が公式に「報告」の存在を認め、内容を亜国人に広く知らしめる必要性があると判断したことを示す。

    大統領はまた、「報告」内容を分析する特別委員会の設置を決めた。委員会は30日以内に、分析結果を大統領に報告する。

    CFKはさらに、この領有権問題を英国との外交交渉で解決すべく、国連の安保理、総会、非植民地化委員会を中心に訴えていく、と述べた。

    M戦争を戦った亜国軍士官・兵士らには、精神の病に苦しむ者が少なくない。大統領は、彼らのために病院を開くと明らかにした。

    一方、英政府は8日、CFK演説を受けて、「F諸島住民が亜国との交渉を臨めば、英政府は交渉に入る」と、従来の立場を繰り返した。

    4月2日の開戦30周年記念日を前に、亜英間で外交的緊張が高まっている。キャメロン英政権は2月初め、F諸島で大掛かりな軍事演習を開始した。3月半ばまで続くが、英主権を象徴する王子(皇太子の長男)も空軍尉官として参加している。

2012年2月7日火曜日

PUMP誌2月号が「キューバ長寿クラブ」ルポ

☆★☆キューバには、100歳を超える者が1550人もいるという。最高齢者は、この2月2日に満127歳になったとされるフアーナ・バウティスタデラカンデラリア=ロドリゲスという超老女だ。

     文・工藤律子、写真・篠田有史の取材コンビは、ハバナにある「120歳クラブ」を訪ねる。会長は、フィデル・カストロ前議長(85)の主治医を務めたこともあるエウヘニオ・セルマン医師(82)。

     「悩まない」、「好きなように生きる」のが、長寿の秘訣だという。75歳の<初老>の男性は、婚活中だとか。

     会長は、「人は不慮の災難などがなければ、120歳までは生きられる」との信念の持ち主だ。その精神で仲間たちに、人生を謳歌するよう発破をかけているらしい。

     面白いルポだ。小生などは、まだ餓鬼の端くれにすぎない。

パナマ政府が先住民排除

▼▼▼パナマ西部チリキ県の先住民族ンガベ・ブグレーは、共同体内にある鉱山と水源を守るため闘っている。富豪リカルド・マルティネリ大統領の新自由主義政権が、保護の約束を反故にして鉱山開発と水力発電所建設に動き始めたため、1月末、県内を走る汎米自動車道を封鎖し、抗議していた。

    政府は2月5日、警察機動部隊を投入し、先住民を排除した。その際、先住民1人が銃弾を受けて死亡、39人が負傷、41人が逮捕された。

    先住民は「ンガベ・ブグレー天然資源・権利防衛連絡会議」を結成して、政府への抵抗運動を続けてきた。今後も闘争を続ける構えで、各地の先住他民族や労組が連帯を表明している。

    マルティネリ政権下では貧富格差が開き、貧困層の不安が都市と農村で高まっている。

(続報)先住民の「連絡会議」と政府は2月7日、カトリック教会の仲介で交渉し、10項目の合意に達し、協定を結んだ。鉱山・水源開発に関する新法を制定する、政府は先住民運動を弾圧しない、先住民は汎米道路などを封鎖しないーことなどが合意されている。

    国会は合意に基づき8日、新法制定の審議を開始することを決めた。

    一方、隣国コスタ・リカの首都サンホセのパナマ大使館前で同日、市民が「先住民弾圧」に抗議した。

2012年2月6日月曜日

毎日新聞が米州情勢分析記事を掲載

☆★☆毎日新聞の2月6日夕刊が、「揺れる米州大陸の<南北関係>  米国とベネズエラの大統領選を軸に」という分析記事を文化面に掲載した。筆者は私。この見出しは、毎日編集部が付けた。

    モンロー宣言以降の米州関係史、その最先端での「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」創設、米国がラ米支配の道具としてきた「米州諸国機構(OEA=OAS)」とCELACの関係、チャベスとオバマが再選をかける大統領選挙の相関関係、社会主義キューバの立場、などが盛り込まれている。

ALBAが独自の「経済地域」創設決める

☆★☆★☆米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)は2月4~5日、カラカスのミラフローレス殿堂(大統領政庁)で第11回首脳会議を開き、独自の経済圏である「ALBA経済地域(ECOALBA=エコアルバ)」を2年以内に創設することで合意した。

        ALBAは、 LAC(ラ米・カリブ)の左翼5カ国、および経済援助が不可欠な島国3国の計8カ国が構成する。正式名称は、「我らのアメリカ人民のためのボリバリアーナ同盟」。

   創設者である大産油国ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が盟主。エコアルバも、チャベスが提唱した。

   エコアルバは、ALBA銀行、ALBA基金などを備え、原資は、加盟各国の中央銀行が外貨準備高の1%を持ち寄って作るとされるが、細部は加盟諸国全体の「経済地図」を作成しながら、練っていくという。域内決済通貨は、既に機能している「スクレ」が使用される。

   今回の首脳会議には、ハイチミシェル・マルテリ大統領、スリナムのデジ・ボーターセ大統領、セントルシアのケニー・アンソニー首相も出席した。加盟希望を昨年打ち出したハイチの資格は「招待国」で、スリナムとセントルシアも加盟申請が今回受理されたことから、同様に「招待国」となった。

   ALBAは、ホンジュラスのセラヤ政権が09年6月の軍民クーデターで打倒され、同国が離脱し打撃を受けた。だが、その後、勢力を盛り返している。

   首脳会議はこのほか、ハイチ支援のため、3月初め同国ジャクメル市で外相会議を開くことを決めた。

   外交面では、英国が王子(皇太子の長男)を送り込んで軍事演習を実施中のF諸島=マルビーナス諸島のアルゼンチン領有権を認めアルゼンチンを支持する宣言を採択した。特別に出席したティメルマン亜国外相は、謝意を表明した。

   1898年から米植民地にされてきたプエルト・リコの自決権と独立権を支持する宣言も採択した。

   また、シリア政府の立場を支持する宣言も採択した。

   さらに、4月半ばコロンビアのカルタヘーナで開かれる第6回米州首脳会議(社会主義キューバ以外の34カ国加盟)に、キューバが招待されない場合、ALBAとしての共同政策を策定するため、同首脳会議前にハバナでALBA特別首脳会議を開くことも決まった。

   ALBAの通常の首脳会議は、今年後半、英連邦のドミニカで開催される。

2012年2月5日日曜日

メキシコ麻薬戦争の実態伝える優れたルポ-週刊金曜日が掲載

▽▼▽メキシコでは2006年12月就任したフェリーペ・カルデロン大統領の下で、<麻薬戦争>が展開されてきた。死者は、麻薬一味、治安要員、一般市民を合せて5万人を超えている。

    日本で数少ない本格派ジャーナリズムの雑誌「週刊金曜日」は1月27日号に、その<麻薬戦争>の恐るべき実態を克明に描く優れたルポルタージュを掲載した。文は工藤律子、写真は篠田有史である。 

    コカインの最大生産地コロンビアでの<麻薬戦争>が終息した90年代初め、メキシコが、麻薬の最大消費国・米国への回廊として、麻薬組織の新たな戦略的拠点となった。

    当時のカルロス・サリーナス大統領は、94年元日の北米自由貿易協定(TLCAN=テエレカン、英語でNAFTA)の発効に向けて、米国とカナダを相手に太刀打ちできる大企業群を急遽育成しようと、禁断の麻薬資金を経済界に導入した。

    カルデロンは、<麻薬戦争>を展開したことによって、麻薬資金の汚染と対立抗争を全土に拡げただけでなく、グアテマラに始まる中米諸国にまで蔓延させてしまった。

    サリーナスとカルデロンに共通するのは、それぞれが出馬した大統領選挙で、いずれも野党・民主革命党(PRD=ペエレデ)の候補に実際には敗れながら、開票時の不正工作で<当選>にこぎ着けたという、誰もが知る事実である。

    その負い目が強かったのだろう、サリーナスはTLCAN発効を、カルデロンは<麻薬戦争>の勝利を施政の業績にしようと、それぞれ派手に動いた。

    今日のメキシコの深刻極まりない麻薬問題は、サリーナスがのめりこみ、カルデロンが後戻りできない状態にまで悪化させた結果だ。その間の24年で、メキシコは、「週刊金曜日」のルポのような出口のない状況に陥ってしまった。

    コロンビアもそうだが、絶望的なほどひどい貧富格差のあるメキシコでは、群れなす貧者が、危険だが金になる麻薬の地下世界になだれ込んでいった。メキシコの浄化も絶望的なほど遠い。

ベネズエラ「国家尊厳の日」-クーデター未遂20周年

▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、陸軍中佐で降下部隊長を務めていた1992年2月4日、政権打倒を狙って軍事蜂起を決行した。激しい銃撃戦の末、多数の死傷者を出し、チャベスは降伏した。それから満20年が過ぎた。

    チャベスはこの日を「国家尊厳の日」と定め、毎年、首都カラカスのプロセレス(英雄)大通りで軍事行進を観閲する。今年は国軍1万2000人と文民8000人が行進した。先住民部隊も行進した。

    ロシア製のスホーイ戦闘爆撃機、戦車、装甲車、自走砲、地対空ミサイル発射装置、ロケット弾発射装置、戦闘ヘリコプター、AK47突撃銃などが登場した。

    チャベスは記念演説で、クーデターの戦闘で命を落とした人々への感謝と追悼の言葉を述べてから、「寡頭勢力は帝国主義に従属していた。だがあの日、ボリバリアーナ革命の道が始まり、20年後の今日、大なる祖国は解放され団結し、社会主義になりつつある」と強調した。

   「ボリバリアーナ」とは、独立期の英雄シモン・ボリーバルの思想を受け継ぐ、という意味だ。

   「国軍兵士は今や、愛国者であり革命家である」と軍部を讃え、「歳出の60%を社会政策に回してきた。これにより貧困は就任時と比べ50ポイントも減った」と、過去13年間の施政を自賛した。

   観閲式には、キューバのラウール・カストロ国家評議会議長、ボリビアのエボ・モラレス大統領、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領、ハイチのミシェル・マルテリ大統領も出席した。

   一方、野党勢は、「自分が決行し失敗した軍事クーデターを栄光の日にしている。違憲行為だ。軍事行進に450万ドルも費やした」などと批判している。

第2次ハバナ宣言から50年

☆★☆1962年2月4日、ハバナの革命広場に市民100万人を動員して開かれた第2回人民集会で、フィデル・カストロ首相(当時)は、「第2次ハバナ宣言」を発表した。それから、この2月4日で半世紀が過ぎた。

     「全革命家の義務は、革命を為すことだ」-こう高らかに謳いあげたこの宣言は、「反米帝国主義」と、「ラ米の広範な地域に革命を拡げていくキューバの理想」を打ち出した重要な歴史的文書として位置付けられている。

     その4日前の62年1月31日、米州諸国機構(OEA=OAS)は、ウルグアイの保養地プンタデルエステで開かれた外相会議で、ケネディ米政権の主導により、キューバを同機構から追放した。この追放は、米軍によるキューバ直接侵攻に備えた外交的措置と解釈されている。

     追放決議は、賛成14、反対1(キューバ)、棄権6(亜、ボリビア、伯、智、エクアド-ル、墨)で可決された。当時OEAには、カリブ英連邦諸国、カナダ、スリナムは加盟していなかった。

     フィデルは、この追放決議を受けて、人民集会を招集した。米国と、その言いなりになってキューバを追放したラ米諸国を糾弾し、次のように語った。

     「キューバが教えられるものは何か? それは、人民にとって革命は可能だ、ということだ。現代世界には、人民解放運動を止められる勢力はない。ラ米の多くの国に、革命が起こりうる現実がある。帝国主義か革命かのジレンマにあって、最も進歩的な層は人民である」

     フィデルは、59年元日の革命直後からラ米での革命運動の支援に着手していたが、第2次宣言後、その支援活動に拍車をかけた。

     米政府は、これを<革命輸出>と呼んでいた。フィデルは「各国の条件が異なるため、革命輸出などありえない」と否定する一方で、米国のラ米での抑圧政策を<反革命輸出>と呼んだ。

2012年2月4日土曜日

キューバ経済封鎖公式化50周年

▼▼▼▼▼ケネディ米政権が1962年2月3日「第3447布告」を発動し、キューバへの経済・金融・貿易封鎖を公式化してから、この3日で50年が過ぎた。

    米国は59年元日のキューバ革命後、キューバの外資国有化、農地改革、共産圏接近などを受けて、キューバへの輸出禁止、キューバ糖輸入割当量大幅削減などの封鎖措置を講じていた。
ケネディの布告は、封鎖を制度化し、拡大させた。

    米国が1898年の<米西戦争>以降、属領化していたキューバでの帝国主義権益が音を立てて崩れつつあったのを、米政府ははっきりと感じ取っていたのだ。

    アイゼンハワー米政権は61年1月キューバと断行し、政権をケネディに引き渡した。ケネディはアイゼンハワーが決めていた、傭兵部隊によるキューバ侵攻作戦を同年4月決行して、敗北した。

    ケネディは62年1月キューバを米州諸国機構(OEA=OAS)から追放し、2月封鎖を公式化した。フルシチョフ・ソ連政権は、次に来るのは米軍によるキューバ直接侵攻とにらみ、フィデル・カストロ首相(当時)と協議して、ソ連製核ミサイルのキューバ配備に踏み切った。

    その結果、62年10月のキューバ核ミサイル危機が勃発した。

    東西冷戦が89年終結し、91年にソ連が消滅すると、米国は社会主義キューバ打倒のため、
封鎖を強化させる。父親ブッシュは92年トリセリ法で、クリントンは96年ヘルムズ・バートン(HB)法で、キューバを締め付けた。米玖以外の第3国を巻き込む悪法だ。

    キューバはこれまでの封鎖による<被害額>を総額1000億ドルと計算している。

    国連総会は昨年も賛成186、反対2(米、イスラエル)、棄権3で、封鎖廃棄決議を採択している。米国は、これを無視しつづけてきた。

    ラウール・カストロ現政権は、市場原理を導入しての経済改革に慎重に取り組んでいるが、封鎖が足枷となっている。兄弟2代のカストロ政権は、キューバ経済停滞の主要な原因の一つを、米国による封鎖だと主張してきた。

    そこには、「責任転嫁の言い訳」の意図もないとは言えない。だが、封鎖による打撃の方が「言い訳」の狙いよりも、はるかに重く大きいのだ。

2012年2月3日金曜日

チャベス・ベネズエラ政権発足13周年

☆★☆ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領(57)が1999年2月2日就任してから、この2日で13年が過ぎた。チャベスは、首都カラカスの大衆地区カティアの劇場での記念式典で演説した。

    「巨人は立ち上がり、自分の脚で歩き始めた」-チャベスは、ベネズエラを巨人にたとえて、強調した。

    チャベスは、ベネズエラがボーキサイト埋蔵量で米州1であることを指摘し、金、鉄鉱石、原油、天然ガスなどの埋蔵量も豊かなことに触れ、資源大国の意味を込めて「巨人」と形容したのだ。

    13年前に政権に就いた時点でのベネズエラの貧困率は50~70%とされるが、現在は20%台半ばに落ちている。チャベスは、これを最大の成果の一つとして掲げている。

    国内総生産(GDP)はその間、900億ドルから3000億ドルへと3倍強に拡大した。

    チャベスは陸軍降下部隊指揮官(中佐)だった1992年2月4日、新自由主義路線のカルロス=アンデレス・ペレス政権の打倒を狙って軍事クーデターを仕掛けたが、政府軍に制圧された。

    「あの行動は、国が陥っていた奈落の底から脱出するための歴史的必要時だった」

    チャベスは、そう述べた。チャベスは事件後、投獄されたが恩赦され、98年の大統領選挙に出馬し、得票率56%で当選した。

    2000年に現在の「ボリバリアーナ憲法」に基づく新たな大統領選挙で、あらためて当選を果たした。

    ところが02年4月11日、財界、軍部保守派など伝統的支配階層による軍民クーデターが発生し、チャベスはカリブ海の小島に幽閉された。

    だが、貧困大衆がカラカスの大統領政庁に向かって大デモ行進をかけ、これに動かされた軍精鋭部隊が決起し、13日、チャベスを政権に復帰させた。

    チャベスは04年、自身の罷免をかけた国民投票に勝ち、06年の大統領選挙で3選された。

    ことし10月7日、4選をかけて大統領選挙に臨む。保守・右翼の伝統的勢力を代表する諸野党は今月12日予備選を実施し、統一候補を決定する。

    チャベスは1月末現在、61%強の支持率を維持している。

    外交面では、キューバ、ボリビア、エクアドール、ニカラグアなどと「米州ボリバリアーナ同盟」(ALBA=アルバ) を結成して、ラ米左翼の中核となった。

    ブラジルやアルゼンチンと連携して、米国が設立しようとしていた「米州自由貿易地域」(ALCA=アルカ)を葬った。さらに、「南米諸国連合」(UNASUR=ウナスール)の結成にも貢献した。

    これらの外交上の成果を踏まえて、昨年12月3日、カラカスで「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC)の創設にこぎ着けた。

    昨年6月、癌腫瘍の除去手術を受け、現在も定期検診を受けている。「前立腺癌で、転移している」との未確認情報が流れているが、チャベスは「全快した」と言いつづけている。

ブラジル大統領がハイチ訪問

▽▼▽ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は2月1日、ハイチを訪問した。早朝キューバから首都ポルトープランスに到着したルセフは、ミシェル・マルテリ大統領と、両国関係や国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の要員削減問題について話し合った。

    両首脳は会談後、そろって記者会見に臨んだ。ルセフは次のように語った。

    「ブラジルは、強い立場にある国が弱い立場の国を支援するという精神で、ハイチを支援してきた。治安、司法、スポーツ、環境などの分野でも支援していく」

    「飢餓撲滅政策の遂行を支援する」

    「ブラジルを第2の祖国としてブラジルにやってきたハイチ人(約4000人)の安全と尊厳を保障する」

    「キューバと協力して、ハイチ人医療・保健要員2000人を養成する」

    「国連方針に沿って、派遣団のうちのブラジル軍部隊を現在の2000人から1900人に減らす」

    ブラジルは、ハイチ安定化派遣団の団長国で、最大の駐在規模をもつ。現在、派遣団の要員は1万1600人だが、国連は当面2700人を削減する方針。

    マルテリ大統領は、派遣団の将来の撤退に備えて、廃止され現在ない軍隊を再び組織する政策を打ち出し、準備を進めている。2年前の大地震後ハイチ援助を増やしてきた国際社会からは、「軍隊を持つ余裕などないではないか」と、批判する声が上がっている。

    同大統領は、この日の記者会見では、ブラジルへの感謝をルセフに表明した。ルセフは1日、帰国の途に就いた。

2012年2月1日水曜日

ブラジル大統領がキューバ訪問

▽▼▽▼▽ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は1月30、31両日、キューバを公式訪問した。31日ハバナでラウール・カストロ国家評議会議長と会談し、経済協力協定に調印した。フィデル・カストロ前議長とも会談した。ルーラ前政権以来ブラジルは、対玖関係を「戦略的関係」と位置付けている。

    ラウール、ルセフの両首脳は、ハバナ西方40kmのマリエル港に行き、港湾近代化工事の現場を視察した。総工費9億ドルのうちブラジルが6億4000万ドルを負担し、同国のオデブレヒト社が施工している。来年1月完成予定で、ハバナ港に入港できない大型船舶が接岸できるようになる。一帯には、商工業団地も建設される。

    大統領は、今回の訪玖、キューバの人権問題、反体制派接見の可能性などについて記者団に訊かれ、次のように語った。

    「キューバは経済封鎖されている。それとの闘いでブラジルが貢献できるのは、我々が広範な経済協力をすることだ。たとえば、ブラジル産食糧買い付け用の借款を供与すること。マリエル港近代化に参画しているのも、その一環だ」

    「人権問題に触れれば、グアンタナモ基地における米国の問題や、ブラジル自身の問題にも触れざるをえなくなる。人権問題を政治やイデオロギーの闘争手段にしてはならない。政治問題が、意義ある訪問を傷つけてはならない。キューバの内政に干渉してはならない。人権問題を多国間で話し合うことには賛成する」

    「今回のキューバ訪問とフィデルとの会談を誇りとする」

    キューバが「反革命派」と呼ぶ反体制派に大統領が会うことはなかった。ルセフは31日、次の訪問国ハイチに向かった。

パラグアイで独裁期の記憶回復のため「記憶週間」始まる

▼▽▼パラグアイで1月30日、「ラ・セマーナ・デ・モメリア(記憶週間)」が始まった。1989年まで35年間続いた故アルフレド・ストロエスネル将軍の軍事独裁時代に殺害されたり拷問されたりした人々の記憶を回復し、同じ過ちを繰り返さないようにするのが目的。

    フェルナンド・ルーゴ大統領は開会式で、「パラグアイの記憶は、恐怖、弾圧、拷問によって長年隠され、彷徨ってきた。この週間は、自由と平和のために闘った同胞を讃えるためのものだ。暴力や憎悪の週間ではなく、不当にも処刑された人々らのためのものだ」と述べた。

    また、アウグスト・ドスサントス情報相は、「国営ラジオの、独裁時代の出来事の録音記録がすべて紛失している。暗黒時代の記録が失われた。これまで探してきたが、見つかっていない」と明らかにした。

    国の「真実・正義・回復委員会」は、今後も録音記録を探し続ける。同委員会は、独裁時代に処刑されたのは最低400人、最大1000人と推定している。

    国は2月1日、首都アスンシオンの南方370kmのニェエンブクー県ピラルで、「記憶の公園」の建設工事に着手する。

    ドスサントス情報相は、「35年の独裁は人道犯罪だけでなく、貧富格差と差別の時代でもあった。独裁は人民を貧困と無知に置きつづけることによって、独裁を維持していた。記憶を取り戻せば取り戻すほど、同じことを繰り返さないための、未来への保障となる」と強調した。

    「記憶週間」は、独裁崩壊23周年の2月3日まで続き、さまざまな行事が催される。