2012年4月3日火曜日

マルビーナス=フォークランド開戦30周年

▼▽▼アルゼンチン軍政のガルティエリ政権が、マルビーナス(英国名フォークランド)諸島など「南大西洋領土」の奪回を狙って対英戦争を開始した1982年4月2日から丸30年が過ぎた。亜国では、この日は「退役軍人と戦死者の日」で、M諸島などが所属するとされる亜国南端のティエラデルフエゴ州都ウスアイアのM諸島広場で記念式典が催された。

▽クリスティーナ・フェルナンェス=デ・キルチネル(CFK)大統領は演説し、「30年前の開戦は亜国人民の意志によるものではなかった。独裁延命を狙っていた者たち(軍部)の意志によるものだった」と指摘した。1976年3月の軍事クーデターで始まった軍政は、わかっただけで3万2000人の市民を殺害し、内外で厳しく糾弾されて、存続が覚束なくなっていた。そこで起死回生の大ばくちとして打ったのが、「M諸島奪回の国土回復戦」だった。だがサッチャー英政権の反撃で82年6月敗戦、83年に民政移管を余儀なくされた。

▼CFKは、「21世紀になっても植民地が残存しているとは不当なことだ。我々は亜国領土の一体性
を要求する」と述べ、外交交渉を通じて「南大西洋領土」の回復を図る平和路線を強調した。

▽M諸島は1833年、英海軍に占領され奪われた。来年で180周年になる。亜国政府は今年から来年にかけて、悲願達成に向け前進したい考えだ。

▼亜国文民政権にとって苦々しいのは、血塗られた、違憲の軍政が愚かにも開始した戦争の記念日に、内外に向けて国土回復の主張を訴えなければならないことだ。

▽先ごろ、開戦時の事実関係を分析した「ラテンバッフ報告」の全文が公開された。

【私は、M諸島戦争をブエノスアイレスを拠点に亜国側から取材した。勇ましい音響とともに日に何度も繰り返された「大本営発表」が、いまでも耳に残っている。ホルヘ・ビデラら軍政時代の人道犯罪の責任者たちは大方裁かれ、刑務所に入れられた。だが人道犯罪を「やむをえなかった」と肯定する者が依然少なくない。亜国の民主はまだまだ堅固さが不足している。】