2012年5月13日日曜日

キューバ映画「ハバナ・ステイション」を観る

▽▼▽東京セルバンテス文化センターでの「キューバ映画上映会」最終日の5月12日夜、イアーン・パドロン監督の2011年作品「ハバナ・ステイション」(95分)を観た。この題名は、物語の中心的な小道具「プレイステイション」とかけてある。

▼小中学生は制服を着て、革命体制に忠誠を誓い、「チェ(ゲバラ)のようになりたい」と叫ぶ点で、皆同じだ。だが制服を脱げば、さまざまな表情が浮かび上がる。ハバナの閑静な住宅街に住む富裕な家庭の少年と、ハバナの下町に住み、父親が殺人罪で服役中の貧しい家庭の少年が、生活格差という<障害>を超えて理解し合い、友情を結ぶという物語だ。

▽1991年のソ連消滅後、経済危機に陥ったキューバは、限定的に自営業を認めるなど市場経済メカニズムを導入した。2011年4月の第6回共産党大会は、公式に市場システム導入を決めた。国外に親戚縁者を持つ者は外貨で送金を受けるし、国外で仕事する者は外貨収入を得られる。外貨、それは具体的には米ドルだが、これを持つ者は豊かになれる。持てない者は、悪戦苦闘の毎日だ。

▼キューバ社会は変わりつつあり、物質主義が色濃くなりつつある。この映画では、さまざまな場面の背景に、革命を象徴する革命広場のホセ・マルティ像、マルティ記念館の塔が映し出される。革命体制の大枠のなかで進行する経済格差は仕方がない、というメンサヘ(メッセージ)が、まず伝わってくる。

▽子供同士が友情を結ぶのは、「皆、同じキューバ人だ」というメンサヘである。制服の下にある格差は、子供の目にもはっきりと映り、もはや隠せない。学校教育上、そして社会教育上、子供たちにも格差の存在を理解させねばならなくなっているのだ。そして、格差は絶対的なものではなく、人間としては皆同じであり、努力する者は誰でも社会上昇の機会を得られる、という一つ先のメンサヘも発している。

▼「共産主義社会の平等性」という神話が崩壊したキューバ社会は、革命で曲がりなりにも達成された平等性という「同化」から今、反対の<異化>に向かいつつある。それは理解し認めなければならないものになった。監督は、そのことを社会に伝えるため子供たちに演じさせた。

▽楽観的である。その楽観性が、キューバの実社会の格差問題の複雑さと、ある種の悲観性をあぶり出す。キューバの知識人は、楽観と悲観を闘わせており、悲観の方向に陥らないよう必死なのだ。そこから生み出されたのが、このような作品なのだ。観るべき映画には違いない。

▼刑務所内の父親が息子のために作った大凧は、<不良グループ>の少年に奪われてしまう。だが奪われた少年は、闘って取り返す。一種の<勧善懲悪>主義があり、汚職など不正のはびこるキューバ社会に教訓を与えようとしている。こうした見どころもちりばめられている。