2012年10月1日月曜日

チリに生涯ささげたピエール・デュボア司祭死去


☆★☆★☆チリで貧者のために生涯をささげたフランス人司祭ピエール・デュボア師(81)が9月28日、心臓麻痺で死去した。首都サンティアゴの大聖堂で10月1日告別式が挙行され、遺体は市内のカトリック墓地に埋葬される。

☆司祭は1963年チリに行き、カトリック労働青年(JOC)に参加した。ピノチェー軍政下の82年、首都周辺部の、ボリビア人ら外国人出稼ぎ労働者、家族ら5万人の居住するラ・ビクトリア教区の司祭に就任し、住民の相談相手となり、弾圧と闘い、民生向上に尽くした。同教区をはじめ大衆地域は、深い悲しみに包まれた。

★84年、教区の仲間アンデレ・ハルランが、武装警察カラビネロスの撃った銃弾で死亡する事件が起きた。軍政・当局は、デュボアらに責任を転嫁しようとしたが、司祭側は目撃証人を立てて反論し、事件の真相を暴いた。

☆軍政は司祭の活動に手を焼き、86年9月、司祭をブラジルに追放した。ピノチェーが1990年3月退陣すると、司祭はチリに戻り、再びラ・ビクトリア教区に住んだ。2001年、チリ国籍を取得した。滞在年数の多い出稼ぎ労働者たちも国籍を認められた。死んだのも、同教区の自宅でだった。

★軍政の流れを汲むピニェーラ現政権の官房長官も、「軍政期に際立った司祭の存在」を認める発言をした。

☆ミチェル・バチェレー前大統領は、「生涯不屈の闘士だった」と、デュボアを讃えた。
 
★「解放の神学」を、口にせずに実践したキリスト者だった。