2012年10月24日水曜日

アルゼンチン「祖母たちの会」が結成35周年


☆★☆アルヘンティーナ(亜国=アルゼンチン)軍政時代(1977~83)に軍政は、拉致した左翼の若い妊婦たちを、赤子を産ませてから殺害した。その赤子たちは、子供を欲しがっていた軍人や警官の家に与えられた。

☆拉致された娘の母親にとっては、奪われた孫たちの奪回が人生をかけた使命となった。1977年10月22日、ブエノスアイレスで「五月広場の祖母たちの会」が生まれた。

★エステラ・バルネス=デ・カルロット(82)は、77年に娘ラウラを軍政に拉致され、78年娘の他殺体を引渡された。娘は拉致されたとき、妊娠2カ月だった。その後の調査で、ギドという男の子を軍事病院で出産していたことが分かった。

☆エステラの、孫ギド奪回の闘争が始まった。78年4月「祖母たちの会」に入会し、中心的な活動家になった。やがて会長に就任する。

☆会の果敢な活動によって、これまでに107人の奪われた孫たちの存在と出自が確認され、実の家族と対面した。だがギドを含む約400人は依然、<行方不明>のままだ。

☆10月22日、会結成35周年の日、クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)亜国大統領はエステラを政庁に招き、長年の貢献を労った。

★その後、市内の劇場で催された35周年記念式典でエステラは、奪回され救出された孫たちと、その子供たちに囲まれ、幸せそうだった。だが報道陣に対し、「私たちの闘争は、決して好んで始めたものではない。軍政に強いられたものだ」と語り、400人の孫たちを探し続ける決意を新たに示した。