2013年5月17日金曜日

広島・長崎の傑作ドキュメンタリー映画が7月公開へ

 原爆投下にまつわるドキュメンタリーの傑作映画を2本、試写会で観た。リンダ・ホーグランド監督の「ひろしま 石内都・遺されたものたち」(2012年、80分)と、日系スティーヴン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」(07年、86分)である。監督はいずれも米国籍だ。

 両作品とも、7月20日から東京・神田神保町の岩波ホールで交互に上映される。

 「ひろしま」は、写真家石内都が11年から12年にかけてバンクーバーにあるUBC人類学博物館で催した写真展の作品を柱に展開される。被写体である衣服、履物、眼鏡など遺品の持ち主が被爆直前まで生きていた広島の当時の状況と、写真展を観る会場の現代の人々の心情を交錯させながら、核兵器がもたらす不条理を伝える。

 原爆ドームが被爆の惨劇をマクロに表す象徴だとすれば、ミクロである個々の被爆者たちの無言の死に様を表す遺品は「人格」を語る。石内は、そこに眼をつけた。

 監督は、日本で生まれ、日本語もこなす知日派である。日本文化にとっても重要な存在だ。

 一方、「ヒロシマナガサキ」は、両被爆地の被爆生存者、原爆開発と投下に関与した米国人ら登場する人物との重層的なインタビューで構成されている。
 
 

 原爆投下を米全土に報告するトルーマン大統領が何度か登場するが、大統領は8月15日、日本が無条件降伏を受け入れたことを伝える。日本政府は天皇制維持をめぐって判断が揺れて降伏が遅れ、そのために広島・長崎の悲劇が生まれた。

 愚かな市長や衆院議員が日本軍慰安婦を正当化したり、在日米軍に性風俗業活用を求めたりするほどに、人間性が枯渇し荒廃し堕落した昨今である。日本人がこれほど矮小な存在になったのも珍しい。明らかな悲劇だ。

 2本の映画を最初に観るべきは、歴史を知らず、あるいは都合の悪い歴史を捻じ曲げる国会議員や自治体首長であろう。