2013年9月11日水曜日

今昔物語--身延でラ米を遠望する


 50年ぶりに山梨県身延町を訪ねた。昨9月10日のことである。商店街の7月の福引きが特等賞を呼び寄せ、日帰りの団体バス旅行で甲府盆地と身延町に行ったのだ。

 下部温泉でしばし脚湯を楽しみ、眼前の池の無数の鯉たちとたわむれながら、今日11日のチリ軍事クーデター40周年のことを考えた。

 実は50年前の冬、大学同級の親友と二人で身延山久遠寺に1週間籠もり、修行した。朝5時ごろから、本堂の長さ50mの幅広い廊下の雑巾がけ、大広間の掃除、広い庭の清掃、坐禅などをした。

 友人の見習い僧は、我々が朝の仕事をこなしていたころ、褌一つで滝水に打たれて寒行に勤しんでいた。彼も我々も朝食時、体がほてりつつ弾きしまっているのを感じていた。3食はみな、精進料理だった。

 近くの富士川の河原で、将来のことを考えた。ラ米でジャーナリズム活動をすること。これが希望だった。当時はラ米が未来だった。今ではラ米は過去であり、現在だ。富士川は昔も今も同じように流れている。

 温泉旅館の女将に久遠寺までの交通を訊ねた。すぐ近くを走っている身延線は本数が少ないのでタクシーがいいが、往復1時間近くかかるという。団体旅行ゆえ出発時刻に違反してはならない。断念し、脚湯に浸かったのだった。

さて、チリも11日未明に入っている。そろそろ40周年の原稿に取り組まねばならない。