2013年10月15日火曜日

若者が活躍した大盛況のLATINA「東京タンゴ祭」


 日本人のタンゴ楽団が9組、東京・有楽町の読売ホールに10月14日集い、計34曲を披露した。この「LATINA」社主催の「東京タンゴ祭2013」は、8月に亡くなった藤沢嵐子に捧げられた。

 開演時に、その旨を伝える字幕が流れたが、誰一人拍手しなかった。これは日本人のまずいところだ。誰かが「拍手してください」と言うと、拍手する。主体的に人間性を表現する判断力に欠けるのだ。これは残念だった。

 祭は豪華だった。バイラリネス(踊り手)と歌手を含め総勢60人が出演した。在日亜国人のギタリストが一人混じっていた。仮想のブエノスイアレス(BsAs)を3時間満喫した。

 有楽町の駅を降りると、老人たちが群をなして一方向に歩いていた。これだな、と思いついて行くと、まさしく会場のある建物の入り口に到達できた。「タンゴファン=高齢者」の図式はまずは間違いない。戦後日本のタンゴ隆盛期に青少年だった人々だ。かく言う私も例外ではないのだが、私など若造の方だ。

 1200人入るホールは満員で、老人の塊だった。これから聴くのは鎮魂曲ではない。だがタンゴというジャンルがそっくりレクイエムであってもおかしくないし、いいではないか。

 そんな私の気持は、最初に登場した早稲田オルケスタの学生9人の若さによって吹き飛ばされた。奏者たちがこれほど若ければ、タンゴにも未来があると思ったからだ。他の楽団にも若さがあった。

 もう一つ、演者の4割方は女性だった。これも希望だ。BsAsには女性だけのタンゴオルケスタはあっても、男女混合のオルケスタには滅多に御目にかかれない。ところが出演した9組はすべて混合だった。素晴らしいことだ。

 全体的に、アストル・ピアソーラの影響が見られた、でなく、聴かれた。だから最後に登場した「西塔祐三とオルケスタティピカ・パンパ」が演奏したフアン・ダリエンソ流の伝統タンゴはむしろ「新鮮」だった。

 ペニウルティモ(最後の直前)の京谷弘司のバンドネオンもよかった。「タンゴの4つの心」=ピアノ、ビオリン、ビオロン(コントラバス)、バンドネオン=を代表するクアトロ(4人組)だった。

 藤沢嵐子の全盛期のオルケスタで演奏した経験を持つのは、西塔と京谷ぐらいという。

 私の立教大学ラ米研講座の受講生だった鎌田剛(ビオロン)が率いる「ロス・ポジートス」もよかった。名前を「ポジート(ひよこ)」から「ガージョ(雄鶏)」か「ガジーナ(雌鶏)」に換えてもいい時期ではないか。

 この「祭」は4回目だった。来年の秋、5回目がある。若い人たちが聴衆席にも増えるのを期待する。

 苦言を呈すれば、ほとんどの楽団が演奏開始の掛け声を「ワン、トゥー、スリー、フォー」と英語でやっていたことだ。ジャズではない。興ざめだった。「ウノ、ドス、トゥレス、クアトロ」と西語でやるべきだろう。英語で合図するなら、むしろ「イチ、ニ、サン、シ」とやる方がいい。英語でやっている間は、本物ではない。