2015年6月6日土曜日

ガルシア=マルケスの『誘拐の知らせ』を再読する

 頭の疲れをとるには、酒か読書にかぎる。その後に、よく眠れるからだ。酒があまり飲めなくなった老人には、読書の方がはるかにいい。

 そんなわけで、疲れた頭を休ませるため、続けて2冊読んだ。一つは、1962年生まれの亜国人作家ギジェルモ・マルティネスの『オックスフォード殺人事件』(2003年原題「見えない犯罪」、和泉圭亮訳、2006年扶桑社)。

 数学者である作家が、数学的犯罪を、数学者を主人公の一人として絡ませ、謎を解く。「推理小説を読みつくした読者への挑戦本」という趣旨の巻末解説がある。推理小説としては面白いとはいえない。かえって頭が疲れてしまった。

 だが、いろいろな試みが合っていい。淘汰されて短命に終わり消えていくか、風雪に耐えて生き残り古典になるか、のどちらしかないからだ。

 もう一つは、ガブリエル・ガルシア=マルケス著『誘拐の知らせ』(1996年、旦敬介訳、2010年筑摩書房)。GGMのジャーナリストの筆致が遺憾なく発揮されている面白い本だ。だが、ほんの少しの遅れ(時間差)を「何万光年も遅れた」と書くなど、魔術的表現が時折出てくる。やはりガボは、得意技を100%抑えるのに我慢できないのだ。

 読んでいるうちに、待てよ、読んだような気がする、と気づいた。読み終えてから巻末を見ると、1997年に角川春樹事務所から『誘拐』として出ていたのがわかり、それを読んでいたのを思い出した。

 この本には、私が記者時代にコロンビアでインタビューした公安庁長官ら何人かの人物も出てくる。それもあって面白いと思ったのではないか、と自問した。いや、それがなくとも面白い。再読だったが、よく眠れた。