2015年9月30日水曜日

ベネズエラ大統領が国連で米大統領に政令破棄を訴える

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月29日国連総会で演説、ベネスエラはクーバ革命の歴史的道程にある社会主義の道をボリビア、エクアドール、ニカラグアの姉妹革命とともに歩み、新しい社会主義社会を建設する選択をしてきた、と強調した。

 米国に関しては、バラク・オバーマ大統領が3月9日の政令で「ベネスエラは米国の安全保障にとり尋常でない脅威である」として締付け措置をとったことに触れ、大統領がその後「脅威」を打ち消したのは評価するが、政令そのものを破棄してもらいたい、と要求した。

 ラ米外交では、玖米国交再開を讃えるとともに、1979年にパナマ運河返還を決めた米国がグアンタナモ基地をクーバに返還することも可能ではないか、と指摘した。英国に対しては、マルビーナス(フォークランド)諸島領有権問題でアルヘンティーナと話し合うべきだ、と求めた。

 大統領は28日、NYで米労働界の指導者と会談。次いでハーレム地区の黒人劇場でベネスエラ政府の肝煎りで開かれた「アフリカ系指導者サミット」に出席し、「人種差別は奴隷制度から生まれた」と指摘し、差別撤廃への努力継続を訴えた。

 マドゥーロはまた、フィデル・カストロが革命直後にハーレムを訪れ、故マルコムXらと会談したことに触れた。この会合には、ビル・パーキンス上院議員、カリブ諸国首相、米各界黒人指導者らが出席した。

 一方、コロンビア国境のタチラ州のホセ・ビエルマ知事は29日、過去数日間にコロンビアの極右準軍部隊(パラミリタレス)要員と見られる31人を逮捕した、と明らかにした。またベネスエラ産燃料6080万リットルの密輸を防止した、と述べた。

 首都に隣接するミランダ州では、バイクに乗った2人組による警察署などへの手榴弾投擲事件が今年に入ってから最近まで15件発生、市民11人と警官4人の計15人が死亡している。負傷者は警官33人を含む50人に上る。

 同州のエンリケ・カプリーレス知事は29日、手榴弾は通常、軍にしかなく、国防相は調査すべきだと述べた。知事はまた、一連の事件が12月6日の国会議員選挙の妨害工作でなければよいが、と懸念を表した。

 カプリーレスは野党連合MUDの統一候補として過去2度大統領選挙に出馬し落選したが、次期選挙での3度目の出馬を目指している。そのためにも地元州での国会議員選挙に負けられない。

キューバ議長と米大統領が今年2度目の会談

 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は9月29日、国連総会で7分余り演説、米国による経済封鎖を厳しく批判し、世界188カ国が封鎖継続に反対している、と述べた。

 ラウール議長とバラク・オバーマ米大統領は同日、国連内で会談した。会談後、ブルーノ・ロドリゲス玖外相は記者会見で、議長は首脳会談で、経済封鎖撤廃、封鎖による累積損害賠償、グアンタナモ米海軍基地返還がないかぎり玖米国交正常化は成らないと強調した、と明らかにした。

 これに対し米国務省は、オバーマ大統領はクーバ議長に人権問題改善を求めた、と明らかにした。両首脳の会談は4月パナマ市での第7回米州首脳会議時の会談以来、小半年ぶり。

 ロドリゲス外相は、10月27日に国連総会で経済封鎖解除要請決議の採択があるが、これまで一貫して反対してきた米国がどう出るか、と述べた。米メディアには、米国が初めて棄権するのではないかとの観測も出ている。

 28日にはハバナで、玖米間の民間航空便就航に関する話し合いが始まった。10月6~7日には、ペニー・プリツカー商務長官が訪玖する。革命直後に打ち切られたクーバ糖の対米輸出再開も話し合われると見られている。

 現在メヒコは年間130~150万トンの砂糖を米国に輸出しているが、米国がクーバ糖輸入を再開すれば、メヒコの輸出が減らされることになると推測されている。

 一方、ヴェトナムのチュオン・タンサン国家主席は28日訪玖、29日、人民権力全国会議(国会)のエステバン・ラソ議長と会談した。ラウール議長がNYから戻るのを待って会談し、30日出国する。

2015年9月29日火曜日

チリ大統領が新憲法制定段取りを15日内に発表へ

 チレのミチェル・バチェレー大統領は9月26日、国連総会出席のため滞在中していたNYのコロンビア大学で講演し、チレ新憲法制定の段取りは15日以内に発表する、と明らかにした。大統領は4月末、半年後に段取りを明らかにする方針を打ち出していた。

 政権党連合「新多数派」内には、制憲議会を開設し憲法草案を策定すべきだと主張する立場と、国会が新憲法制定の主導権を握るべきだとする立場あって、対立している。

 バチェレーは29日には国連の平和維持活動(PKO)などをめぐる会合で演説し、チレは来年1月から国連平和維持軍参謀本部に士官4人を派遣すると述べた。また来年中にアフリカでのPKOにチレ陸軍工兵中隊を派遣する、と発表した。

キューバが農業開発用に中国製トラクターを大量輸入

 クーバは、中国の農業機械製造大手YTO社製のトラクター587台を8月輸入、9月28日、引き渡し式が催された。砂糖黍、穀物などの耕作地に配置される。クーバは今後、新たに486台を輸入することになっている。両国貿易は昨年、16億ドルに上った。

 一方、米アーカンソー州のアーサ・ハチンソン知事(共和党)は28日ハバナで、米国による対玖経済封鎖撤廃への支持を表明した。

 クーバには、米・北カロライナ州農業経営者28人が滞在中。食糧品輸出などの可能性を探るため。
  

ローマ法王がコロンビア和平交渉進展を支援

 玖米歴訪を終えたフランシスコ法王は9月28日、ローマに戻る機中で記者会見し、「サントス大統領と2度話し合った」と指摘、コロンビア和平合意促進に協力したことを認めた。

 コロンビア政府とゲリラ組織FARCは23日ハバナで、半年以内に和平最終合意に到達するための合意書に調印した。

 一方、コロンビアのエドゥアルド・モンテアレーグレ検事は28日ボゴタで、アルバロ・ウリーベ前大統領(現上院議員)は(不逮捕特権があり)取り調べできないが、ウリーベがかつてのアンティオキア州知事時代に極右準軍部隊(パラス)を支援したことに関しては捜査可能だ、との見方を示した。この捜査は、和平後に発足する「和平特別法廷」が担当する。

 JMサントス大統領は29日国連総会で演説、FARCとの和平日程合意に触れ、FARCが和平後、政治勢力となって政府と共に麻薬取引取締りをすることになるが素晴らしいことだ、と述べた。

 大統領はまた、「来年のこの時期この場に、平和になったコロンビアの大統領として来る」と強調、和平実現に向かって歩み始めたコロンビアの標準時に時計の針を合わせるよう呼び掛け、拍手を浴びた。

ペルーの銅山開発めぐる抗議行動で18人死傷

 ペルー・アプリマック州コタバンバ郡チャルウアウアチョにあるラス・バンバス鉱山で9月28日、銅山開発による環境破壊に抗議する住民5000人が押し寄せ、出動した警察機動隊と衝突、死者3人、負傷者15人が出た。

 この鉱山は標高4000mのアンデス山脈の渓谷にあり、豪州MMG社以下の企業連合が開発権を得ている。銅のほか、モリブデンなどの金属が眠っている。

 住民は、いったん合意された環境対策が変更されたとして怒り、抗議行動に出た。政府は対話を求めたが、開発計画に後戻りはないと言明している。

 ペルー経済はマクロで好調だが、それは鉱山開発によって支えられている。開発をめぐる抗争は全国的に拡がっており、数百件に上る。

キューバのアフリカ政策を担ったホルヘ・リスケーが死去

 社会主義クーバの古参指導者がまた一人、この世を去った。アフリカ政策を長年担ったホルヘ・リスケー(85)が9月28日、死去した。

 リスケーは人民社会党(PSP=旧共産党)青年部指導者として活躍、革命戦争では、1958年にラウール・カストロ司令(現議長)が率いた東部第2戦線に参加した。

 革命後は1965年の共産党(PCC)結党に参加。労相、党書記局員、政治局員などを歴任。1965~67年、コンゴで「パトリス・ルムンバ国際大隊」の司令官を務めた。

 その時期、チェ・ゲバラがコンゴでルムンバ派のゲリラ組織・解放人民軍(EPL)を支援し戦っていた。リスケーは、ゲバラを側面支援する任務を帯びており、ゲバラの現地司令部を訪れている。

 その後、南アフリカ解放組織・アフリカ民族会議(ANC=現在の政権党)のゲリラ組織「民族の槍」の戦略・戦術顧問を務めた。またアンゴラ戦争では、アンゴラ解放人民運動(MPLA)を支援、和平交渉ではクーバ代表団の中心となった。

 最近まで、クーバを訪れるアフリカ諸国要人と会っていた。数年前までアフリカ諸国をしばしば歴訪していた。

 ラウール・カストロはハバナ大学年代、PSP青年部に属し、リスケーと接点があった。リスケーの遺骨は、東部第2戦線の霊廟に安置される。

オバマ大統領が対キューバ経済封鎖解除を米議会に要請

 バラク・オバーマ米大統領は9月28日、国連総会で演説、国交再開に7月漕ぎ付けたクーバに触れて、「経済封鎖(エンバーゴ)にはもはや居場所はない」として、米議会に対玖経済封鎖解除を求めた。

 大統領は、「議会は不可避的に経済封鎖を解除することになろう」と述べた。

 大統領は29日、国連の場で、ラウール・カストロ国家評議会議長と歓談する。

 オバーマが国連総会で敢えて経済封鎖問題で発言したのは、毎年、この総会で経済封鎖解除決議が採択されてきたからだ。今年も10月に採決が予定されており、米国が初めて解除に賛成するかどうかが関心を集めている。

 大統領は、「経済封鎖でクーバを孤立させようとして孤立したのは米国だった」と認めている。

2015年9月28日月曜日

カタルーニャ州議会選挙で独立派が過半数制す

 スペイン北東端のカタルーニャ州で9月27日総選挙が実施され、独立派2勢力の合計獲得議席が州議会(定数135議席)の過半数72議席に達した。独立推進者のアルトゥール・マスの「独立賛成運動」(62議席)と、独立派「人民連合候補団」(CUP、10議席)は正統性が得られたとして、2017年の独立実現を目指す意志を表明した。

 だが両勢力の合計得票率は47・85%で、50%にわずかに及ばなかった。このため中央政府のマリアーノ・ラホーイ首相は、独立には正統性がないとの立場を打ち出した。選挙が、独立の是非をかけた一種の住民投票と見なされていたからだ。

 カタルーニャはスペイン一の富裕州で、「最も欧州的」で、ロマンス語系の独自の言語カタランを持ち、歴史的に独立志向が強い。人口は750万人、主権者は551万人。今回の投票率は77%を超えた。

 他党の獲得議席数は、中道右翼「市民たち」25、中道カタルーニャ社会党(PSC)16、右翼政権党PP(国民党)11、中道左翼ポデモス系「カタルーニャは可能だ」11。

領土問題で対立するベネズエラとガイアナが大使帰任で合意

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領とガイアナのデイヴィド・グランジャー大統領は9月27日、NYの国連本部で会談し、相互に召還していた大使を帰任させることで合意した。会談は、パン・ギムン国連事務総長の仲介で実現した。

 両国はガイアナ西部エセキーボ地方の領有権問題を歴史的に抱えているが、昨年来、ガイアナが米石油会社に同地方沖の海底油田開発権を与え開発が開始されたことから、険悪な関係になっていた。

 ガイアナ大使はベネスエラ政府から忌避されており、新しい大使がカラカスに赴任することになる。

 一方、ラウール・カストロ玖議長は29日、NYでバラク・オバーマ米大統領と会談することになった。
 

2015年9月27日日曜日

ベネズエラとロシアが宇宙戦略兵器使用禁止で合意

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月26日、NYの国連代表部にセルゲイ・ラヴロフ露外相を迎え会談した。これに続き、デルシー・ロドリゲスVEN外相とラヴロフ外相は、宇宙での戦略兵器使用を禁止する合意書に署名した。

 マドゥーロは25日には、クーバ国連代表部でラウール・カストロ議長と会談した。

 大統領はまた、国連総会出席の石油輸出国機構(OPEC)、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)、南米諸国連合(ウナスール)の首脳たちとの会合への出席を予定している。

ラウール・キューバ議長が国連で経済封鎖解除を訴える

 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は初めて国連総会に出席し9月26日演説、「玖米国交再開は重要な前進だったが、半世紀以上続く経済封鎖が依然、クーバの発展を阻害する最大の要因となっている」と指摘、封鎖解除を訴えた。

 議長はまた、先進工業諸国に対し、貧困諸国が開発目標を達成できるよう一層努力してほしい、と呼び掛けた。

 ラウールは26日、パン・ギムン国連事務総長と会談、総長はコロンビア和平交渉の貸座敷として貢献してきたクーバの役割を果たした。コロンビア政府とゲリラFARCは23日、半年以内の和平達成で合意書に署名した。

 議長は25日にはNYで、経済封鎖解除賛成派の米連邦議員団と会合した。またNY州知事アンドゥルー・コモ知事と会談した。同州は4月、通商使節団をクーバに派遣している。ラウールは25日、モサンビークのフィリプ・ニュシ大統領とも会談した。

 一方、ボリビアのエボ・モラレス大統領は25日の国連演説で、「今日、戦争をつくりだし、<イスラム国>のような狂信的宗教軍団を生み出しながら統御不能に陥り、それによって生じた危機を人民に押し付けている」と述べ、暗に米国を批判した。そして「貧困をなくすため資本主義を止めよう」と呼び掛けた。

 ブラジルのヂウマ・ルセフ大統領は、国連安保理理事国入りを目指すG4会合で、印独日3国首相と会談した。

 ローマ法王は今回の訪米中、米議会で演説し、「血塗られた資金を稼ぐ兵器・武器輸出」を止めるよう呼び掛けた。これは武器輸出をしているすべての国々と、それに道を開いた安倍政権をも間接的に批判する発言だ。

  ワシントンのクーバ大使館は26日、米商業会議所のトーマス・ドノウエ会頭と玖商業会議所のオルランド・エルナンデス会頭が同地で会談し、「商議理事会」の設立を決めた、と明らかにした。両国間の通商関係樹立、経済封鎖解除、企業家同士の関係醸成、商議機会特定などを活動目的とする。

【日本の大方の新聞やテレビニュースは、ラウール演説報道で従来からの過ちを犯している。ラウールは経済封鎖を「経済制裁」とは絶対に呼ばない。クーバには米国から制裁されるいわれはなく、制裁されるべきはクーバに軍事侵攻や破壊活動、暗殺などをさんざん仕掛けた米国ではないか、との立場をとるからだ。米国メディアは、経済封鎖を政策としては「制裁」であるが、「封鎖」に意味が近い「エムバーゴ」(禁輸、禁止)という用語を用いることが少なくない。にも拘わらず日本メディアの大勢は相変わらず「経済制裁」一辺倒のナイーヴな報道が多い。記者やデスクの不勉強ゆえだが、誤った価値観を押し付けられる読者は、たまったものではない。米国メディアの方が「経済封鎖」の用語に関しては、日本のメディアよりもリベラルと言える場合が少なくないのだ。日本政府の対米従属主義が必要以上に記者らに影響を及ぼし、思考を停止させているのかもしれない。】

学生失踪事件1周年、メヒコ市内を2万5000人が抗議行進

 メヒコの教諭養成学校生43人強制失踪事件発生から1年経った9月26日、首都メヒコ市では目抜き通りパセオ・デ・ラ・レフォルマから憲法広場(ソカロ)にかけて雨中、2万5000人が行進、政府に事件解明を要求した。

 失踪者のある父親は、「雨が降っているのではない。メヒコ人民が泣いているのだ」と語った。人々は「国家犯罪糾弾」、「大統領辞めろ」、「無処罰許さぬ」などと書かれたプラカードや紙片を掲げていた。

 事件当日、現場のゲレロ州イグアラ市では、失踪者以外の学生3人が警官らに虐殺され、とばっちりで市民3人も殺されている。麻薬組織、地元市長・警察などが犯行に関与した事実が判明している。

 この日の抗議行動参加者は犠牲者家族、友人学生、教員、先住民族ヤキ、住民運動指導者、別の失踪事件被害者家族ら。ある参加者は「43人の背後には無数の失踪者がいる」と指摘した。政府統計では、カルデロン前政権が「麻薬戦争」を始めた2006年以来、2万5000人の失踪者が出ている。

 エンリケ・ペニャ=ニエト大統領は24日、犠牲者家族らと会合し、事件捜査継続を約束したが、26日は国連に出席、メヒコを留守にした。

 ある政治評論家は、1968年10月2日のトラテロルコ学生・労働者虐殺事件が時のグスタボ・ディアス=オルダース大統領施政の象徴として歴史に刻印されたように、43人失踪事件はペニャ=ニエト現大統領施政の象徴として刻印される、と述べた。

 一方、ボリビアの政治首都ラパスでも26日、学生ら100人がメヒコ大使館前で抗議デモをした。その中心には、エボ・モラレス大統領の娘、エバ=リス・モラレス(21)がいた。彼女はカトリック大学法学部生で、父親の支援団体「エボ世代」のメンバー。


 

コロンビアのペソ新札にガルシア=マルケスが登場へ

 コロンビアで来年新札が発行されるが、5万ペソ札には、昨年死去した文豪ガブリエル・ガルシア=マルケス(ガボ)の肖像が登場する。裏は、ガボの小説の中の舞台マコンドに地理的に近い先住民の古代居住地シウダー・ペルディーダが描かれる。

 5万ペソは、わずか16ドル強。元大統領カルロス・ジェラス=レストレポが刷り込まれる10万ペソは、将来のデノミナシオン用に使われるという。コロンビア中央銀行が9月25日発表した。

 2万ペソには元大統領アルフォンソ・ロペス=ミケルセン、1万ペソには人類学者ビルヒニア・グティエレス、2000ペソには画家デボラ・アランゴがそれぞれ登場する。2000ペソは従来通り詩人ホセ=アスンシオン・シルバ。 

2015年9月26日土曜日

モラレス・ボリビア大統領4選出馬へ向け改憲法成立

 ボリビア議会上下両院合同本会議は9月25日、エボ・モラレス大統領の4選出馬を認める改憲法案を可決した。2009年制定の憲法の168条は「大統領連続再選は1回だけ」と規定しているが、これが「2回まで可能」となる。この改憲法承認の是非を問う国民投票は、来年2月21日実施される見通しだ。

 モラレス大統領は社会主義運動(MAS)から2005年の大統領選挙に初出馬し当選、06年1月政権に就いた。だが新憲法制定作業を開始、任期を1年短縮し新憲法の下で09年再選され、任期を5年に戻して14年また再選された。

 だがMASは、新憲法下での最初の再選は2014年の大統領選挙と解釈し、今回の改憲で「2度再選可」としたことで2019年の次期選挙出馬が可能になるとの立場だ。05年選挙から数えれば連続4選を狙うことになる。

 本会議は賛成113、反対44で改憲案を可決した。

 国際司法裁判所は24日、ボリビアの言い分を認めて、同国がチレから奪われた海岸領土を回復するための交渉をチレに義務付けるか否かを審理することになった。

 ボリビアは、この裁定を「歴史的勝利」と位置付けており、モラレスは連日の勝利を収めた。

メキシコ学生43人強制失踪事件から1年経過

 メヒコ南部ゲレロ州イグアラ市で昨年9月26日、州都チルパンシンゴ近郊アヨツィナパの教諭養成学校生43人が強制失踪させられた事件から1年が経った。首都メヒコ市をはじめ全国各地で、追悼行事や政府への抗議行動が予定されている。

 これまでのところ、遺骨のDNA鑑定により、43人のうちの2人の身元が判明している。鑑定は、オーストリアのインスブルック大学法医学研究所で行なわれてきた。

 メヒコ検察庁は25日、保存されている遺骨6万柱の中から遺骨を選別して同研究所に送り、鑑定を続ける、と発表した。遺骨選別には、アルヘンティーナ法人類学チームが協力する。

 エンリケ・ペニャ=ニエト大統領は24日、学生の遺族・家族らと会合し、事件捜査継続を約束した。

2015年9月25日金曜日

アルファベット頭文字で表す日本の主要紙

 先刻、某紙のコロンビア和平に関する報道ぶりを批判したが、某紙だからB紙としてもよかった。この機会に、日本の主だった日刊紙名をアルファベットの頭文字で並べてみた。

 A:秋田魁新報、朝日新聞  B(某紙)=かつて防長新聞(山口)があった= C(ch):千葉日報、中国新聞(広島)、中日新聞(愛知)、中部経済新聞(同)  D:デイリー東北(青森)  E:愛媛新聞

 F:福島民友新聞、福島民報、福井新聞 G:岐阜新聞  H:北海道新聞、北国新聞(石川)  I:岩手日報、石巻新聞、茨城新聞、伊勢新聞  J:上毛新聞(群馬)、ジャパンタイムズ

 K:河北新報(宮城)、神奈川新聞、北日本新聞(富山)、京都新聞、神戸新聞、紀伊民報、高知新聞、熊本日日新聞、鹿児島新聞  L:  M:室蘭民報、宮崎日日新聞、南日本新聞(鹿児島)、毎日新聞

 N:新潟日報、奈良新聞、西日本新聞(福岡)、長崎新聞、日本経済新聞  O:大分合同新聞、大阪新聞、大阪日日新聞、沖縄タイムス、大島新聞

 P:  Q:  R:琉球新報  S:下野新聞(栃木)、埼玉新聞、信濃毎日新聞、静岡新聞、山陽新聞(岡山)、新日本海新聞(鳥取)、山陰中央新聞(島根)、四国新聞(香川)、佐賀新聞、産経新聞

 T:東奥日報(青森)、東京新聞、徳島新聞  U:  V:  W:和歌山新聞 X:  Y:山形新聞、山梨日日新聞、山口新聞、八重山日報、読売新聞  Z: 

コロンビア和平合意を全く速報しない某紙に抗議する

 コロンビア政府とFARCが9月23日夕から夜にかけてハバナで、半年以内に内戦を終結させるという歴史的合意に達した。今世紀ラ米の、米玖国交再開と並ぶ大ニュースだ。

 ところが、「全国紙」を自認する某紙は、24日夕刊でも25日朝刊でも、この歴史的大ニュースを全く報じていない。白昼夢のようだ。

 この新聞はローマ法王の訪玖取材のため、在米通信員をクーバに特派していた。法王は22日、訪玖を終え米国に去ったが、その翌日の和平合意だった。なぜ、これをハバナで取材できなかったのか。

 同紙本社には、共同・時事通信社電や外電が殺到していたはずだ。特落ち(特ダネ落とし)したのであれば、通信社電を掲載して速報し、同時に自社取材を開始して追い付けばよい。この努力をなぜ怠ったのか。メンツからか。だとしたら、読者を馬鹿にしている。

 購読料を支払っている読者は怒る。いったい、ニュース判断はどうなっているのだ。自社電がなかったため、あたかも大ニュースがなかったかのような紙面構成になったのだとすれば、あきれてものが言えない。

 そして編集者は傲慢極まりない。購読者として、この新聞に抗議する。ジャーナリスムの体をなしていないと。 猛反省を促す。

【この新聞は25日夕刊でようやく報じたが、ハバナ合意から一日半遅れだった。その記事は、コロンビア陸軍を補完して殺戮や土地奪取を恣にしてきた、内戦の最悪の癌である極右準軍部隊に触れていない。】 

☆国際司法裁がボリビア・チリ領土問題審理を可能と判断

 ハーグの国際司法裁判所は9月24日、ボリビアが太平洋岸領土回復のための交渉をチレに義務付けるよう要求した2013年の案件について、同裁判所にはボリビアの要求を「審理する権限がある」との判断を賛成14、反対2で可決し、「領土問題は決着済み」とのチレの主張を退けた。これにより、この案件の審理が継続されることになった。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は、この判断を「歴史的勝利」と受け止め、チレのミチェル・バチェレー大統領に対話を求めた。この判断を予測していたバチェレー大統領は、「チレの国土の一体性が損なわれることはありえない」と発言、強気の姿勢を示した。

 モラレスは訪米中のフランシスコ法王と電話会談し、25日国連で法王に謁見する約束を取り付けた。モラレスは、法王に仲介を求める意向だ。

 チレは1879年、ボリビア領だったアントファガスタ地方の硝石開発権をめぐって戦争を仕掛け、ボリビア・ペルー連合軍を破った。ボリビアから同地方を奪い、ペルーからアリーカ、タラパカ2地方を奪った。ボリビアはこれにより、内陸国になった。

 この戦争は、太平洋沿岸での海戦が中心だったことから、「太平洋戦争」と呼ばれている。

 以来ボリビアは「海への出口回復」を悲願としてきた。モラレスは特にこの問題に熱心で、4選を狙うための正統的理由づくりのためにも国際司法裁提訴を一大運動として展開してきた。

【モラレスは9月29日の国連総会演説で、チレに対話による問題解決を呼び掛けるとともに、「ボリビアは遅かれ早かれ海岸領土回復を実現させる」と述べた。】
 

2015年9月24日木曜日

★コロンビア内戦、半年以内に終結へ-歴史的合意成る-

 半世紀余り続いてきたコロンビア内戦が終結への最終段階に入った。フアン=マヌエル・サントス大統領と、ゲリラ組織FARC(コロンビア)革命軍のティモレオーン・ヒメネス最高司令は9月23日ハバナで会談後、遅くとも半年以内(2016年3月23日まで)に最終和平合意に調印すると発表した。

 双方はハバナで2012年11月から41回、和平交渉を続けてきた。貸座敷クーバのラウール・カストロ国家評議会議長が発表に立ち会った。大統領と最高司令は議長に促され、握手した。大統領の表情はぎこちなかったが、司令は笑顔だった。

 最大の問題は内戦当事者の断罪だった。決まったのは、外国人判事を含む「特別法廷」で治安部隊、FARCの双方の要員を裁くこと。内戦中に人道犯罪、虐殺、強姦などの戦争犯罪に関与したことを一定期間内に自発的に申し出た者には、禁錮5~8年の実刑が適用される。希望者は労働奉仕ができ、職業訓練が施される。

 罪を申し出ず捜査の結果、罪が判明した者には、最高20年の実刑判決が科せられる。政治的犯罪は恩赦の対象となる。

 FARC司令部要員ら幹部たちは、必ずしも処罰の対象にならない。FARC要員は和平合意調印後60日以内に武装解除のうえ武器を差し出す。

 FARCは政治組織に移行する。それを政府は支援する。

 玖米関係と並びラ米で最古の冷戦状況だったコロンビア内戦は、玖米国交正常化に続いて集結することになった。クーバが和平交渉の場となったことは象徴的だった。

 コロンビア国内には、アルバロ・ウリーベ前大統領に代表される大地主、準軍部隊、地方政治家ら、和平に反対する極右勢力があり、さまざまな妨害工作をしてきた。今後も破壊活動、対人テロなどが懸念されている。

【参考文献:伊高浩昭著『コロンビア内戦  ゲリラと麻薬と殺戮と』(2003年、論創社)】
  

コロンビア大統領とFARC最高司令がハバナで会談へ

 コロンビアのフアン=マヌエル・サントス大統領は9月23日、ハバナでFARC(コロンビア革命軍)の最高指導者「ティモシェンコ」こと、ロドリゴ・ロンドーニョ司令と会談する。和平交渉の難題だった「過渡的正義」に関する合意を発表するもよう。

 大統領は当初、ハバナでフランシスコ法王立ち合いの下で、同司令と共に発表したい意向だったが、法王の日程上、困難だったため、国連総会出席の途上、ハバナ入りすることになった。

 法王は20日ハバナの革命広場でのミサで、コロンビアに対し和平交渉で失敗しないよう、また国内法と国際法に照らして適法な和平に到達するよう促している。

 23日の合意発表には、ラウール・カストロ国家評議会議長が立ち合うことになる。難題は和平後、FARC指導者らへの禁錮刑を適用するか否かだった。FARCは、半世紀に及ぶ内戦で夥しい数の人道犯罪を犯したのは政府軍・警察、その手先の極右準軍部隊だとして、そのような国家テロリズムをも裁くべきだと主張してきた。

 一方、ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は23日、カリブ海のセントクリストファー・ネヴィスの首都バステールを訪れ、同国の第32回独立記念日式典に出席し、ティモシー・ハリス首相と会談した。

 マドゥーロはこの後、ドミニカの首都ロソーを訪問し、いったん帰国してから、国連総会出席のためニューヨークに向かう。
 
 

2015年9月23日水曜日

伊高浩昭執筆「ラ米乱反射」は「グアテマラ大統領失脚」事件

◎伊高浩昭の最近の仕事(2015年8月下旬以降)

★月刊誌LATINA9月号「ラ米乱反射113回」 鶴見俊輔とメキシコ

★週刊金曜日誌8月28日号 「対キューバ国交深化は米大統領選争点に」

★講演「<アメリカ>とは何か」  9月9日、都内の経営者団体定例会合で

★週刊読書人紙9月11日号 「伊高浩昭・柳原孝敦対談-『チェ・ゲバラ』(中公新書)刊行を機に 「ゲバラの夢見た世界とは  キューバ米国・国交樹立な何を意味するか」

★月刊誌LATINA10月号(9月20日刊)

「ラ米乱反射114回」-「グアテマラ大統領が汚職事件機に失脚 支配体制が、出た釘<闇の成金勢力>」叩く」

「映画評」:チリ映画パトリシオ・グスマン監督作品「光のノスタルジア」および「真珠のボタン」=10月10日から岩波ホールで公開=

「書評」:山崎眞次著『メキシコ先住民の反乱-敗れし者たちの記録』(成文堂、3400円)

☆松枝愛書評:伊高浩昭著『チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書、880円)

★著書刊行

7月25日 『チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア』(中央公論新社中公新書、880円)

9月2日 『われらのアメリカ万華鏡』(立教大学ラ米研究所、非売品)

フランシスコ法王がキューバ訪問終え、米国入り

 フランシスコ法王は20日ハバナ、21日オルギン市でミサを執り行った後、22日、サンティアゴ郊外のクーバ守護聖母コブレの小聖堂でミサをした。

 法王は、「クーバ人は痛みと欠乏があったにも拘わらず、神への信仰を止めなかった」 と指摘、1959年元日のクーバ革命から90年代初頭まで30年余り、カトリック信者が置かれていた厳しい時期に暗に言及した。

 ラウール・カストロ国家評議会議長以下、最高幹部らはハバナ、オルギンに続き3度目のミサに出席、玖米和解を仲介した法王に最大限の感謝を表した。

 法王は、聖母コブレ小聖堂からサンティアゴ市までの約20kmを車で移動、沿道の市民たちに祝福を送り、サンティアゴ大聖堂でミサをした。

 その後、サンティアゴのアントニオ・マセオ国際空港から特別機でワシントンに向かった。機内で法王は、同行記者団に「当初メヒコのフアレス市から陸路、米国入りするつもりだったが、玖米和解が進んだため変更した」と明かした。

 法王は22日午後、ワシントンに到着、バラク・オバーマ大統領夫妻らに迎えられた。
  

2015年9月22日火曜日

ボリビアが国際司法裁判断に備え「海岸領土回復旗」掲揚へ

 オランダのハーグにある国際司法裁判所は9月24日、ボリビア政府が求めてきた太平洋岸領土回復の訴えを審理するか否かの判断を下す。ボリビアは1879年の太平洋戦争でチレに敗れ、現在のチレ・アントファガスタ州一帯を奪われ、海岸線を失った。

 同州の面積は12万km2、海岸線は400kmに及ぶ。かつては錫、現在は銅の一大産地だ。内陸国になったボリビアは以来、「海への出口」回復を悲願としてきた。

 エボ・モラレス大統領は21日、「海岸領土回復旗」を24日、全官庁および関連機関に掲げるよう命じた。この旗は地が海を意味する濃紺で、左肩にボリビア国旗と、虹色のウィパラ(先住民族旗)が並び、その周囲を国内9州を指す9個の金色の星が並ぶ。そして紺地の中央に、ひときわ大きな金色の星が一つ。これは未来の海岸領土を示す。

 一方、ぼリビアの訴えを受けて立ったチレのミチェル・バチェレー大統領は21日、上下両院議長、外相らと24日の国際司法裁判断に備えて協議した。

 国際司法裁は近年、ラ米ではニカラグア・コロンビア領海問題、ペルー・チレ領海線画定問題などで裁定を下してきた。

ベネズエラとコロンビアが国境問題で7項目の合意

  ベネスエラとコロンビアは9月21日、キトでの4カ国大統領会議で、国境問題解決のため7項目の合意に達した。

 ①召還された大使の即時帰任②国境での状況調査開始③カラカスで関係閣僚会合を23日開催④段階的正常化達成⑤互いの経済・政治・社会の在り方を尊重⑥相互に敬意を払い共生する雰囲気をつくるため友好と団結の精神醸成⑦エクアドール、ウルグアイ両国との協働継続。

 国境再開時期、長年ベネスエラに住みながらコロンビアに帰国せざるを得なくなったコロンビア人約2万人の扱い、賠償、国境地帯での物資・麻薬の密輸、暗躍するコロンビア準軍部隊の取締りなどの中心的問題は当面、閣僚会議などに委ねられるもよう。

 大統領会議終了後、ニコラース・マドゥーロVEN大統領は、仲介したラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)と南米諸国連合(ウナスール)の機構名を挙げて謝意を表した。

 だがJM・サントスCOL大統領は、米国も加盟する米州諸国機構(OEA)の仲介を求めていた経緯から、両機構名を挙げずに、コレア、バスケス両大統領に感謝の意を伝えた。

[コロンビアのマリーア・オルギン外相は22日ボゴタで、「サントス、マドゥーロ両大統領はキトで非公式会談に臨んだ。極めて率直かつ困難な話し合いだったが、必要な会談だった」と明かした。]

ベネズエラ・コロンビア国境問題で大統領会議始まる

 エクアドール(赤道国)首都キトの大統領政庁カロンデレー宮で9月21日、ベネスエラ・コロンビア国境閉鎖問題の解決策を探るための大統領会議が始まった。

 ニコラース・マドゥーロVEN、フアン=マヌエル・サントスCOLの両当事国大統領、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)輪番制議長国エクアドールのラファエル・コレア、南米諸国連合(ウナスール)輪番制議長国ウルグアイのタバレー・バスケスの両仲介役大統領の4人が会議に出席している。

 ベネスエラは8月19日、北部国境でコロンビアの極右準軍部隊(パラミリタレス)が不法行為を働いているなどの理由で一部国境を閉鎖、以来、閉鎖区間を拡大してきた。これにより、追放された約2000人を含むベネスエラ在住の2万人を超えるコロンビア人が帰国した。

 背景には、チャベス前ベネスエラ政権期からベネスエラを不安定化させるための米・コロンビア両国による準軍部隊を使った潜入工作がある。準軍部隊はコロンビア当局の暗黙の承認を受けて、石油をはじめとするベネスエラ産物資の密輸や麻薬密輸によって国境地帯で利権を築いている。

 ベネスエラの政権党国会議員が準軍部隊要員一味に自宅を襲われ、内縁の妻と共に惨殺される事件も起きており、マドゥーロ大統領は態度を硬化させていた。

 一方、サントス大統領は国境地帯で、帰国してきた同胞たちを支援しているが、国内には、大地主らの手先である準軍部隊によって土地を奪われ避難民となった600万人の貧しい元農民がいる。この大問題が「国境難民」によって現在、一時的に覆い隠されている。土地を奪われた農民の一部は、たまりかねて19日、ボゴタのコロンビア大統領政庁で抗議行動に出た。

 マドゥーロ大統領は会議に先立ち、キト大聖堂で解放者アントニオ=ホセ・デ・スクレ元帥の棺に参拝した。スクレは、解放者シモン・ボリーバルの部下で、エクアドールからペルー、ボリビアにかけてのスペイン植民地を解放に貢献した。

2015年9月21日月曜日

チリ映画「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」を観る

 チレ映画界の名匠パトリシオ・グスマン監督(74)の「光のノスタルジア」(2010)と「真珠のボタン」(2015)を試写会で観た。

 何万光年もの遠い彼方・過去から地球に届く星の光を見る天文学者と、42年前(1973年)の軍事クーデターで殺された肉親の遺骨を探す女たちが、アタカマ砂漠で隣り合わせている。大空の星と、砂漠の砂に真実を求める人々の接点を描くのが第1作だ。

 19世紀に英国人船長に連れ去られたチレ南部パタゴニアの先住民青年と、1973年の軍事クーデターで殺され死体を海に投下された人々が海底に残した物の共通点は「ボタン」だった。第2作は、「水や海に宿る記憶」を描く。

 自然科学、地理、冷酷な史実が無理なく巧みに絡ませられている。

 これほど敬虔な気持ちにさせられる映像を創り出す監督も少ない。ラ米学徒、チレ学徒に観ることをお薦めする。

 10月10日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。

日本ラグビーの対南ア戦勝利に思う

 南アフリカが誇るラグビー代表チーム「スプリングボックス」に日本が勝った! 英国ブライトンで9月19日、W杯大会初戦、34対32で逆転勝利したのだ。これには驚愕した。

 高橋尚子の五輪マラソンと、荒川イナバウアー静香の五輪フィギュアースケートの金メダルは特別な快挙だった。だが、ラグビーのこの勝利は、パラディグマ(パラダイム)が違う。つまり異次元なのだ。

 私は30余年前、3年余りヨハネスブルクに駐在していた間中、南ア・ラガーの凄さに目を見張らされていた。当時、最も厳しい状態にあった人種隔離(アパルトヘイト)体制の守護神のような存在に映った。

 虐げられていた多数派で貧しい痩せた黒人のスポーツはサッカーだった。「白人のラグビー」と「黒人のサッカー」、これも、スポーツ界のアパルトヘイト現象だった。

 今大会前にも、黒人選手を加えるか否かでもめたと聞く。この辺りに、南ア・ラグビーの弱さがある。

 私は現役記者時代、五輪大会2回、サッカーW杯大会2回、柔道、バレーボールなどの世界選手権、ワールドカップ、プロボクシング世界選手権試合など、さまざまなスポーツ競技を取材した。

 「スポーツのわからない外信記者は駄目、国際情勢のわからないスポーツ記者は駄目」と見なされていた時代だ。私にとって、スポーツは国際情勢の一部だった。

 いま、40年に及んだスポーツ取材を振り返ってみて、今回の日本ラグビーの勝利ほどの驚きは味わったことがないのを確認した。1968年のメヒコ五輪サッカーの3位決定戦があったアステカ競技場の記者席に私はいた。あの時の銅メダルの驚きも、今回のラグビーの勝利の驚きに及ばない。

 日本ラグビーチームは国際多人種チームであり、文化的混血選手団だ。オコエ、ダルビッシュ、室伏を挙げるまでもなく、優れた肉体的混血選手も増えている。彼らはダブルであり、トゥリプレである。球技も文化的混血によって力は何倍にもなる。

 日本の国会も人種混交、文化的混血が進めば、視野が国際的となり思慮深くなって、憲法を蹂躙するような議員らの居場所はなくなるだろう。


ローマ法王がキューバ人にイデオロギーを離れた思考促す

 フランシスコ法王は9月20日、ハバナの革命広場で1時間あまりミサを執り行い、「神への勤行は決してイデオロギー的なものではない。思想のためでなく、人々のためのものだからだ」と述べ、革命イデオロギーと反社会主義イデオロギーが交錯するクーバ社会に、イデオロギーを離れて思考する試みを促した。

 法王はまた、2012年からハバナで続けられてきたコロンビア政府とゲリラFARC(コロンビア革命軍)との和平交渉への支持を表明し、コロンビアに和解を求めた。

 ミサには30万人が参加、ラ米諸国や米国から駆けつけた信者も少なからずいた。招待席3500席が用意され、最前列をラウール・カストロ国家評議会議長、クリスティーナ・フェルナンデス亜国大統領、バレーラ・パナマ大統領夫人ロレーナ、クーバ政府要人らが占めた。JCバレーラ大統領は先に訪玖したばかり。

 革命広場には、ミサの時間を除き、キリストを讃えるアフロクバーノ調の曲と合唱隊の歌が流れていた。

 法王は、ラウールに向かって、対米国交正常化実現への努力と、コロンビア和平支援を感謝した。革命広場には「法王は希望を運んできた」と書かれたプラカードが見られた。祭壇の右手彼方の内務省建物の壁面には、おなじみのチェ・ゲバラの鉄枠肖像があって、「宗教と革命の均衡」を演出する役割を担った。

 ミサを終えた法王は、ハバナ市内の邸宅にフィデル・カストロ前議長を訪れ40分間、国際情勢や環境問題について会談した。その後、革命広場の背後にある革命宮殿(政庁・共産党本部)でラウール議長と約1時間会談した。

 次いで法王は、旧市街にあるハバナ大聖堂で儀式を行ない、若者たちとの会合に臨んだ。フェルナンデス亜国大統領は、フィデルを邸宅に訪ねた後、帰国の途に就いた。

 

2015年9月20日日曜日

ベネズエラとサウディアラビアが原油価格安定化で合意

 ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は9月19日、ニコラース・マドゥーロ大統領とサウディアラビアのサルマン国王が電話会談し、原油国際価格安定化のための努力傾注と石油輸出国機構(OPEC)強化で合意した、と明らかにした。

 両国はこのほどカラカスで第1回合同委員会を開き、経済協力強化で合意している。
 

9月22日から東京・恵比寿で「竹田邦夫メキシコ彫銀展」

 メヒコ在住40年の銀細工師、竹田邦夫が9月22日~10月4日、渋谷区恵比寿4-8-3の「Malle画廊」で作品展示販売会を催す。画廊は、JR恵比寿駅東口から徒歩3分。月曜以外、正午から19時まで。電話03-5475-5054。

 邦夫の兄・竹田鎮三郎画伯は在墨生活50年で、オアハーカ市にあるベニート・フアレス大学の美術学部長。邦夫は、銀の街タスコで修行し、同市とメヒコ市で制作してきた。

 毎年、この季節に渡り鳥のようにやって来て、故郷瀬戸市に近い名古屋市と、東京で展示会をしてきた。

 作品は、ブローチ、指輪など、銀の緻密な抽象細工の芸術性の高い実用品で、オパロ(オパール)を嵌め込んだものもある。女性には垂涎(すいぜん)の作品ばかりだ。

キューバ議長が法王歓迎演説で社会主義堅持を強調

 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は9月19日、ハバナに到着したフランシスコ法王を前に演説した。要旨は次の通り。

 革命勝利後、我々は多大な努力を払い、最大の危険を背負いつつ、公平で堅固な社会を建設するため邁進してきた。それゆえに我々は封鎖、中傷、攻撃され、大きな人的損出と経済困難に見舞われた。

 我々は、文化豊かで伝統に根ざし、クーバ、ラ米、カリブ、世界の最も進歩的な思想をもって、平等かつ正義ある社会を建設した。

 クーバ人保健・医療労働者延べ32万5710人が158カ国で活動してきた。これにより何百万人もの人々が健康を取り戻した。現在は68カ国で5万281人が活動している。

 クーバ指導の識字教育運動により、30カ国の計937万6000人が読み書きできるようになった。外国人学生6万8000人がクーバに留学し、卒業した。

 我々は、発展し持続できる社会主義建設のため、経済・社会の現代化モデルを進めてきた。それは、人間的、家族的、参加自由な、民主的、自覚した、創造的なもので、特に若者たちを意識している。

 社会主義堅持は、国の独立、主権、発展、福利を維持するためだ。我々は意志堅固に、あらゆる挑戦に直面しつつ、徳と正義、倫理と精神的価値のある社会を建設してゆく。

 2014年1月ハバナで開かれたラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)の第2回首脳会議は、ラ米・カリブを「平和地域」とすることを宣言した。広島・長崎原爆投下70周年に際し、核軍縮を訴える。

 法王の玖米対話支援に感謝する。国交再開は関係正常化の第一歩にすぎない。経済封鎖は残酷、背徳、違法であり、終焉しなければならない。不法占拠されてきたグアンタナモ領土はクーバに返還されねばならない。

 クーバとヴァティカンの国交80周年に際し、関係が今後も相互尊重精神で発展してゆくのを願う。クーバ憲法は信仰の自由を謳っている。法王来訪を最大限に歓迎する。 
 

フランシスコ法王がキューバを訪問、国民和解を訴える

 フランシスコ法王は9月19日夕、アリタリア特別機でハバナに到着、ラウール・カストロ国家評議会議長らの出迎えを受けた。法王は到着演説で、自身が仲介した玖米和解について、「長年の別離を経ての国交正常化は、再会の文化の勝利の兆候だ。正常化深化と、あらゆる可能性の発展を願う」と、両国に促した。

 今年は、クーバとヴァティカンの国交樹立80周年に当たる。これに触れた法王は、1998年のヨハネ=パウロⅡ世、2012年のベネディクト16世の両法王の「忘れがたい訪玖」を語った。

 自身の訪問目的については、「教会が、自由と、神の国の告知を社会の隅々まで行き渡るようにするため必要な空間をもって、クーバ人民の希望と懸念に対応すべく、協力と友好の絆を更新する」ことと述べた。

 クーバについては、「北と南、東と西を結ぶ鍵となる島国であり、並はずれた価値を持つ」と讃え、「ホセ・マルティが夢見たように、全人民が友愛をもって結集するため出会うのは、この国の自然の資質だ」と指摘した。

 今年はまた、サンティアゴ市郊外にある「慈悲の聖母コブレ」がクーバの守護聖母と宣言されてから100年の年。法王は、「私は聖母コブレの聖堂で、正義、平和、自由、和解の道を歩むよう、全クーバ人のために祈るつもりだ」と語った。

 法王はまた、さまざまな理由で国外にいる全クーバ人に私の挨拶が届くのを希望する、と述べた。これは特にマイアミ在住のクーバ人亡命者・経済難民社会を意識したものだ。

 フランシスコ法王は20日、ハバナの革命広場で大規模なミサを執り行う。その後、フェリックス・バレーラ文化セントロで若者たちと会合する。ラウール議長との公式会談も予定されている。法王は到着演説で、「私の特別の思いと敬意を兄フィデルに伝えてほしい」とラウールに向け語っており、法王とフィデルの会談もありうると見られている。

 21日にはオルギン市でのミサの後、サンティアゴに移動。聖母コブレの教会でのミサに臨む。22日、サンティアゴから米国に向かう。米国ではワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアを訪れる。国連総会での演説も予定されており、国連を初めて訪問するラウール議長も聴くことになっている。

 一方、法王とクーバから特別に招待されたアルヘンティーナのクリスティーナ・フェルナンデス大統領は19日朝ハバナに到着、ラウール議長と会談した。大統領は20日のミサに出席する。法王と大統領は亜国人同士で、親しい間柄。 

「9条平和市民革命」の道程は今、始まった

 9条を戴く平和憲法は、人類の永遠の理想を象徴する。軍国主義は古来野蛮の成れの果て、平凡極まりない。9月19日未明の悪法参戦法成立で、9条はかすり傷を負いはしたが、掲げる理想は一層光り、野蛮は矮小化され愚かさを照らし出されている。

 9条は、決して墓場には行かず、亡命もしない。日本の遥か天上に燦然と輝き、日本人主権者の6割を超える人々の知性と情感の中に分身を宿す。そして、残る4割弱の同胞に歩み寄る。多くの外国人も9条を戴いている。

 野蛮は長続きできない。反知性は通らない。戦犯だった祖父を崇める孫と、平伏する従僕たちは、蹂躙しようとして蹂躙できない9条の偉大さを知ることになろう。裸の王様はやがてこけるだろうし、こけねばならない。

 市民は歴史を築いた。これは勝利だ。日本人は政治的にさらに前進する。1500年も民衆を催眠術にかけてきた官尊民卑、事大主義を打ち砕いた。もう後戻りしない。為政者の下部(しもべ)となって理性麻痺を狙うテレビ番組や、いかさま言説の煙幕。これを吹き飛ばし、進みゆく。

 民主、知性、理性、情熱、人道、平和、普遍、国際主義のレボルシオン=9条市民革命の長い道程は、いま始まった。

[「市民革命」の近い将来の戦域が7月の参議院議員選挙であるのは言うまでもない。数日前に「ノーパサラン」の項で「人民戦線」に触れたが、共産党最高幹部は19日、参院選での協力を野党に呼び掛ける方針を示した。若い世代の多くは、「人民戦線」の言葉や意味を知らないだろうが、共産党が歩み寄って結成しようとしているのが「人民戦線」型選挙協力なのだ。]


 

2015年9月19日土曜日

ボリビア大統領の4選出馬改憲で国民投票実施へ

 ボリビア国会のアルベルト・ゴンサレス上院議長は9月18日、エボ・モラレス大統領の4選出馬を可能にする改憲の是非を問う国民投票を来年1月31日実施する、と発表した。

 モラレスは2006年1月から政権にある。19年の次回選挙出馬の意思を非公式に表明している。

ベネズエラ空軍のスホーイ戦闘爆撃機が墜落

 ベネスエラのブラディミロ・パドゥリーノ国防相は9月18日、空軍のロシア製戦闘爆撃機スホーイ30型一機が17日夜、コロンビア国境地帯で墜落した、と発表した。墜落地点は広大なアプレ高原の拡がる中南部のアプレ州で、搭乗員2人は死亡した。

 コロンビア国境地帯では、ベネスエラによる国境閉鎖により緊張状態にある。空軍機は「国籍不明機侵入」の警報を受け、緊急発進していた。

 ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は17日カラカスで、パレスティーナのリアド・アルマルキ外相と会談した。
 
 一方、ベネスエラ原油の国際価格は18日、1b=40・79ドルと安値だった。

米政府が法王来訪前にキューバへの経済封鎖を緩和

 米政府(財務省、商務省)は9月17日、大統領権限で可能な範囲の対玖経済封鎖緩和策を発表した。米海運会社は、米玖両国間の直接航路にかぎって認可される。

 訪玖が許可された者は、クーバ国内で銀行口座を開設できる。米国人にクーバでの合弁などによる電気通信、インターネットの事業を始めることができる。米国からクーバへの通信機器輸出枠を拡大する。

 報道、農業、建設、郵便、電気通信、旅行代理店などの分野には、クーバ国内での事務所や倉庫の設置を認める。その事務所などは、在玖・米国人を雇用することができる。

 米国人によるクーバへの送金金額および、訪問者の携行金額の制限を廃止する。米玖両国人は、相互に司法サービスを受けることができる。在米クーバ人外交官は、国際移動が許可される。

 これらの措置は21日発効する。フランシスコ法王は19日から玖米両国を歴訪するが、これを前にした緩和策だ。

 この発表を受けてクーバのラウール・カストロ国家評議会は、バラク・オバーマ米大統領に電話し、今回の措置の深化および、経済封鎖の完全撤廃を求めた。両首脳はローマ法王来訪についても話し合った。

 米政府はこの電話会談について、両首脳は両国国交正常化に果たした法王の役割に触れるとともに、関係強化のため双方、もしくは一方が政策を主導する必要性について話し合った、と公表した。

 一方、チェ・ゲバラの娘アレイダ・ゲバラ医師(チェ・ゲバラ研究所長)は17日ローマ法王来訪について、共産党は我々党員にローマ法王歓迎やミサに出るよう盛んに働き掛けているが、私は完全に反対だ、と述べた。

 アレイダは、アルヘンティーナ軍政時代に3万2000人の市民が殺害された事実を踏まえて、「そのとき現在の法王はどこにいたのかしら」と言い、亜国出身の法王の過去に触れた。だがアレイダは、法王は私の家を訪れることになっており、私は彼を普通の訪問者として迎える、と語った。ゲバラはアルヘンティーナ人だった。

 しかしアレイダは、「私はミサには行かない。信仰の自由の問題だ」と述べた。法王は、ハバナの革命広場で20日、オルギン市で21日、サンティアゴ市郊外の聖母コブレ寺院で22日、それぞれミサを執り行う。 

メキシコ大地震から30年経過

 メキシコは9月19日、大震災30周年記念日を迎えた。1985年のこの日、ミチョアカン州太平洋岸でM8・1の地震が起き、翌20日にはM7・3の余震が続いた。これにより6000人が死亡、首都メヒコ市などに多大な被害が及んだ。

 メヒコ市中心部の憲法広場(ソカロ)では19日、エンリケ・ペーニャ=ニエト大統領が巨大な国旗を半期にし、追悼行事を挙行した。震災犠牲者の遺族ら一般民衆は、11月初めの「死者の日」に墓参りし、追悼する。

 一方、メヒコ検察庁は16日、昨年9月26日に強制失踪せさられた学生43人のうちの一人の遺骨の身元が判明した、と発表した。オーストリアのインスブルック大学法医学研究所がDNA鑑定で、ジョシバニ・ゲレロ君(当時19歳)と確認した。これで身元判明者は2人となった。

 当局はまた、43人失踪事件に深く関与している麻薬組織ゲレロス・ウニードスの幹部ヒルダルド・ロペス(36)を16日、ゲレロ州タスコ市内で逮捕した、と明らかにした。

2015年9月18日金曜日

玖米国交再開後初の駐米キューバ大使が就任

 駐米クーバ大使が9月17日、就任した。7月20日の玖米国交再開以来、臨時代理大使を務めていたホセ=ラモーン・カバーニャスは17日、白亜館で、バラク・オバーマ大統領に信任状を渡した。

 カバーニャスは、2012年からワシントンの利益代表部(現大使館)の代表として駐在していた。

 一方、米国の駐玖大使は決まっていない。共和党が多数を占める上院で承認されねばならず、オバーマ大統領は難しい人選を迫られている。

「ノーパサラン 奴らを通すな」-雨中の議事堂を包囲

 霧雨、小雨が交互に繰り返された後、本降りになった。戦国時代に包囲された大坂城のように、国会議事堂は主権者市民に包囲されていた。軍勢ごとの、さまざまな幟や旗がたなびくがごとく、プラカードや横断幕が行き交っていた。

 悪法、参戦法、戦争法を葬るため、自由、民主、憲法、生活、命を維持するため、馳せ参じた市民の群は絶えず流れ、絶えなかった。

 若者、中年、老人、女性、子連れ、外国人の老若男女たち。スローガンの叫びに呼応しつつ歩く。

 共産党、社会民主党、民主党、知識人、市民運動家らが演壇に立つ。まぎれもない人民戦線だ。

 と思った時、眼前を流れる目覚めた群衆のプラカードの中に、「ノーパサラン 奴らを通すな」と書かれた文字を見た。若い娘が掲げていた。

 スペイン内戦(1936~39)のさなか、反フランコファシズムの女性闘士ドローレス・イバルリが叫んだ言葉ではないか!

 「ラ・パシオナリア」の、あの叫びだ。

 やがて、若者たちが演壇に上がる。「ノーパッサラン」と音便で勢いをつけた合唱。続いて「奴らを通すな」、「ファシズムを通すな」、「独裁者を通すな」の合唱。

 そして、憲法を蹂躙する悪法を通すな、だ。知性なき野蛮を通すな、だ。

 若い人々は歴史を、政治の欺瞞と愚かさと底知れない恐ろしさを、見抜いている!

 彼方の国で内戦が起きた年、2・26事件が勃発。日本は問答無用、軍国主義に急傾斜した。国会議事堂は悲劇を目撃した。

 機動隊は戦闘服でなく、警官の制服姿でばか丁寧に群衆をさばく。慇懃無礼。怒れる人々の海と大河を見、命の声を聞いた彼ら警官たちは、何を考えていたのか。

  民衆による国会周辺での闘争は普段、機動隊に制圧され、「民主対弾圧」の低次元で終わる。だが今、治安部隊は民衆の洪水を制御できない。闘争は「民主対政府・政権党」 の対決となって、極右国家体制を揺さぶっている。

 政権党2党の議員たちの民主が機能しなくなって久しい。主権者は、選挙民は選んだ議員に全権を託してはいない。議員は主権者に抗議されれば、言動を改めねばならない。これが代表制の神髄だ。

 議員が唯我独尊に陥り、議事堂外の声に耳を傾けなくなった時、市民は怒りの声を上げる。今がまさにそうだ。

 選挙民と議員は相互に補完する。これをこれぽっちも理解していないのが狂気の首相であり、保守・右翼議員たちだ。大方のマスメディアだ。歴史を知らない記者たちだ。だから日本は、これほどまでに荒廃した。

 「ノーパサラン!」

 この言葉を聞けただけでも、雨に打たれた価値があった。

  付言すれば、世界の多くの政治デモで必ず見られるチェ・ゲバラの肖像は、誰かが掲げていたかもしれないが、私は見かけなかった。
 

2015年9月17日木曜日

ベネズエラ、コロンビア両国大統領が国境問題で21日会談へ

 エクアドールの首都キトで9月21日、ベネスエラのニコラース・マドゥーロ、コロンビアのフアン=マヌエル・サントスの両大統領が国境問題解決のため会談することが決まった。

 会談には、南米諸国連合(ウナスール)輪番制議長のウルグアイ大統領タバレー・バスケス、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)輪番制議長のエクアドール大統領ラファエル・コレアも同席する。

 当初バスケスがモンテビデオでの会談を提案、いったんまとまりかけたが決裂。次いでコレアが呼び掛け、開催が決まった。キト郊外の「世界の中央」赤道碑の近くにウナスール本部がある。

 国連人道問題連絡事務所によると、8月19日以来、ベネスエラ在住コロンビア人1482人がコロンビアに追放され、他の1万9982人がコロンビアに帰った。

 両当事国が加盟する米州諸国機構(OEA)は、緊急外相会議を開いて問題を話し合うことにしたが、この案は否決された。「南米の問題は南米で」というベネスエラの主張が支持され、ウナスールを中心に打開策を探ることになった。

チリ中部でM8・4の地震が発生、津波警報出る

 チレ中部コキンボ州チョアパ県セネラ村近郊で9月16日午後7時54分、M8・4の地震が起きた。国立チレ大学地震研究所が発表した。津波警報が出され、海岸地方の住民は避難している。

 震源地はセネラ村の西方46km、深さ15・7kmの海底。死者は10人を超え、負傷者12人が出ている。当局は、泥をレンガ状に固めて乾燥させたアドーベで造られた家屋が倒壊している、と報告している。

 震源地は、太平洋岸のバルパライソ市の北方177km、首都サンティアゴの北北西230km。

 一方、ハワイの太平洋地震警報センターは、M8・3と発表。高さ3m程度の津波が発生し、ハワイにも到達する可能性があると見ている。チレの北隣のペルーにも津波が届くとしている。

 チレ人は2010年のコンセプシオン市一帯を見舞った大地震で津波により犠牲者が出て大問題になった記憶から、積極的に避難している。


  

ラウール・キューバ議長が国連総会出席へ

 クーバのブルーノ・ロドリゲス外相は9月16日ハバナで記者会見し、ラウール・カストロ国家評議会議長が25~28日国連行事に出席すると明らかにした。

 ラウールは25日、フランシスコ法王の国連演説を聴く。法王はこの訪米に先立ち19日からクーバを訪問する。次いで26日、議長は「2015年後の開発議題首脳会議」で、28日に国連総会で、それぞれ演説する。ラウールはまた、女性平等会議に出席する。

 ロドリゲス外相は記者会見で、「広島・長崎に犯罪的な原爆投下がなされてから70年経ったが、核軍縮には何ら進展がない」と指摘した。また、欧州に殺到している難民への人道的配慮を呼び掛けた。

 外相は、恒例の国連総会での経済封鎖解除決議案採択は10月27日になると発表。今年は案文の文言が変わったとして、「玖米復交を祝福し」、「米大統領の経済封鎖解除の意志を認めつつ」という表現が入ると明らかにした。

 併せて「クーバも米大統領の封鎖解除意志を認めている」と述べた。

 この記者会見には、19カ国36メディアの62人の記者および、クーバメディア記者らが出席した。国連での封鎖解除決議で米国は賛否いずれに回ると思うかとの質問に対し外相は、「それは米国務省に訊いてほしい」とかわした。

 一方、ハノイで16日、玖越両国が財政協力趣意書に調印した。クーバからはリーナ・ペドゥラーサ財務・価格相が出席、調印した。

2015年9月16日水曜日

ベネスエラとコロンビアの国境問題、混迷深まる

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月15日、コロンビアとの西部国境の閉鎖区間を拡大、同区間にも非常事態を発動、国軍管理下に置いた。8月の国境閉鎖後、ベネスエラ在住コロンビア人約2万人が追放や自発的出国でコロンビアに戻っている。

 デルシー・ロドリゲス外相は同日、南米諸国連合(ウナスール)がVEN・COL国境問題を話し合う首脳会議を21日開く、と述べた。だがウナスールは、同機構加盟12カ国の首脳間で合意がないため、開催は決まっていないと否定した。

 一方、コロンビアのJM・サントス大統領は14日ボゴタで、マリーア・オルギン外相、エクアドールのリカルド・パティーニョ外相らと国境問題で会談した。15日には、ベネスエラと国境北端のラ・グアヒーラ州パラグアチョーンを視察、「写真撮影のために会うことはない」と語り、ウルグアイで設定されつつあったマドゥーロ大統領との会談に臨みたくない意志を表明した。

 サントスは、「会うなら解決策がなければならない」と述べ、暗にマドゥーロに具体案提示を求めた。サントスは国境で、ベネスエラ軍の兵士たちと言葉を交わし、握手した。

 ベネスエラは国境地帯で、ベネスエラから石油や生活性物資が大量にコロンビアに密輸されてき、それが経済に打撃となっていると捉え、またコロンビアの武装一味が不法入国して暗躍しているとして8月、一部国境を閉鎖、取締りを強化してきた。

 背景には、コロンビアで55年間続く内戦で土地を奪われ避難民となった人々や、貧困対策の遅れで生活苦に苛まれている人々がベネスエラに入り込んで定住してきた事実がある。

 一方、ベネスエラが唐突と映る国境閉鎖に踏み切ったのは、ベネスエラ人の目を経済困難などの内憂から外患に向けさせる狙いがある。また軍隊の国境地帯動員には、軍事訓練の意味も含まれている。

 サントスは国境視察などでいかにも人道を重視する大統領のように振舞っているが、内戦で貧困農民が土地を奪われ避難民になるのを防がず、また、ウリーベ前極右政権以来、極右準軍部隊(パラミリタレス)がベネスエラ国境地帯でベネスエラからの物資密輸で大儲けするマフィアになったり、ベネスエラの内政不安定化のため越境して暗躍するのを防いでこなかった。


メキシコ外相が観光客襲撃事件受けエジプト入り

 メキシコのクラウディア・ルイス=マシュー外相は、メキシコ人観光客がエジプト軍航空機から攻撃され死傷者が出た9月13日の事件究明のため16日、大統領専用機でカイロ入りした。

 外相は、メキシコ警察要員、事件被害者の家族らを伴っている。エジプト政府高官らとの会談が予定されている。

 一方、エジプトのサメハ・ショウクリー外相は15日、メキシコ紙を通じての公開書簡で、メキシコが国内で麻薬戦争を戦ってきたように、エジプトも国内の武装勢力と戦っているという趣旨の釈明的見解を述べ、メキシコ人観光客事件の背景理解を求めた。

ベネズエラとサウジが経済・外交協力で合同委員会設置

 ベネスエラとサウディアラビアは9月15日カラカスで会合し、経済・外交協力強化のため「高級合同委員会」を設置した。デルシー・ロドリゲスVEN外相、サウディアラビアからはタウフィク・アルラビアハ通産相が出席した。

 両相は、油化、工業、農業加工、エネルギー、教育、文化、外交など10項目の協力議定書に調印した。双方はまた、両国企業間の投資促進についても話し合った。

 ロドリゲス外相はこの会合で、ベネスエラが国際原油価格安定化のため、石油輸出国機構(OPEC、スペイン語でOPEP)加盟国と非加盟産油諸国の首脳会議開催を提唱していることを強調した。

 一方、米政府は15日、「麻薬取締非協力国」としてベネスエラ、ボリビア、ミャンマーを挙げた。ベネスエラとボリビアは大使級外交関係が途絶えており、現在、関係修復交渉を続けている。両国は麻薬取締に関する米側判断に反発している。

 米側資料によると、米国に流入するコカインの86%はメヒコ・中米経由、14%はカリブ諸国・諸島経由。コカインは、原料コカ葉の生産国コロンビア、ペルー、ボリビアなどで生産されている。
 

キューバのラウール・カストロ議長がナミビア大統領と会談

 ラウール・カストロ玖国家評議会議長は9月15日ハバナで、来訪中のナミビア大統領ヘイジ・ガインコブと会談した。両国は1990年3月に国交を樹立、今年はその25周年に当たる。

 クーバはナミビアの隣国アンゴラで、侵略していた南アフリカ白人政府軍(当時)を80年代末撃破し、南アの支配下にあった南西アフリカ(ナミビア)の解放・独立に貢献した。このため、両国は「特別の関係」にある。

 ラウールは28日には、国連総会での初の演説を予定している。同議長の下では従来、外相が演説していた。

 クーバを19日、フランシスコ法王が訪問する。法王は次いで訪米する。法王は玖米国交再開交渉を陰で支えた功労者だった。

 クーバの国連ジュネーブ駐在代表アナジャンシ・ロドリゲスは15日の人権理事会で、「人権問題を政治化し、二重基準で、特定国攻撃に用いるのでは立ち行かなくなる」と述べ、米欧諸国を暗に批判した。

 一方、メヒコのアエロジェット航空は15日、メヒコ市-玖バラデーロ便と、墨モンテレイ-ハバナ便を10月15日開設する、と発表した。同社は既にメヒコ市-ハバナ便24便、カンクンーハバナ便14便を運航している。

 アエロジェットは2005年設立された。国際線はクーバ便のほか、ボゴタ、サンホセ、グアテマラ市、サナントニオ、ヒューストン、ラスベガス、マイアミ、ニューヨーク各便を運航している。

  モスクワでは15日、クーバ国鉄の貨物輸送能力拡大のため、ロシア製貨車363両をクーバが買い付けるきつけることが決まった。うち163量は、砂糖専用輸送車。

グアテマラ大統領選挙決選にサンドラ・トーレスが進出

 9月6日実施されたグアテマラ大統領選挙で得票2位争いをしていたマヌエル・バルディソーン候補は14日、撤退を表明した。これにより、10月25日の決選投票は得票1位のジミー・モラレスと、2位が確定したサンドラ・トーレスの争いとなった。

 選管(TSE)は11日、開票率99・01%段階で、2位争いをしていたトーレスの得票率19・76%(96万7242票)、バルディソーン19・64%(96万1284票)と発表、最終結果は14日以降明らかにすると表明していた。

 バルディソーンは、わずか5958票の票差だが、これを覆すのは不可能と判断、撤退した。その表明に際し、開票に不正があったと非難した。だが「不正」を証明するのに十分な証拠は示さなかった。

 決選では、バルディソーン票、および6日の投票を棄権した有権者の28%の票の行方が勝敗を左右する。

 ノーベル平和賞受賞者でマヤ先住民指導者の一人、リゴベルタ・メンチューの政治組織ウィナクは、バルディソーンを支持していた。メンチューも「選挙の不正」を公言している。

 バルディソーンは前回選挙で決選に進出したが、税関汚職事件を追及され3日辞任に追い込まれたオットー・ペレス=モリーナ前大統領に敗れた。

 グアテマラは15日、アレハンドロ・マルドナード暫定大統領の下で、独立194周年を祝った。旧大統領政庁(現文化宮殿)前の憲法広場は9月初めまではペレス=モリーナに辞任を要求する市民の結集の場だったが、15日夜は独立を祝う市民で埋まった。

 一方、キチェー県サンフアンコツァルで10日、マヤ先住民族イシル人の精神的指導者セバスティアン・サヒク=コルドバ(70)が、一団によって山刀(マチェテ)で惨殺された。サヒク=コルドバは、1980年代初め先住民を大虐殺した責任者、エフライン・リオス=モント元軍政首班(89)の断罪を要求する運動を推進していた。

2015年9月15日火曜日

メキシコ人観光客グループがエジプトで誤爆され死傷

 メヒコのクラウディア・ルイス=マシュー外相は9月14日記者会見し、エジプト旅行中のメヒコ人グループが13日、エジプト治安部隊の航空機1機およびヘリコプター数機から空爆され、2人が死亡、6人が負傷し入院した、と明らかにした。

 メヒコ人旅行者一行は11日カイロに到着、13日南西部の砂漠地帯のバハレヤというオアシスを数台の自動車に分乗してサファリ中、停車して休憩、食事していたところ攻撃された、という。

 メヒコ政府はエジプト政府に対し、怒りと悲しみを表明、事件の説明と責任の所在明示を要求した。

 メヒコ人負傷者はカイロの病院に搬送されており、カイロのメヒコ大使館員が各負傷者から個別に事情聴取、その情報に基づいて外相発表となった。

 カイロからの報道によると、サファリをしていた一行は16人。メヒコ人以外の死傷者はエジプト人ガイドという。

 エジプト政府は、メヒコ人観光客一行を扱っていたエジプトの旅行社は事前許可をとらずに、イスラム過激派が活動する立ち入り禁止地域に入ったため誤爆されたと表明、旅行社を厳しく罰するとしている。 

2015年9月14日月曜日

モンテシーノスと「輝く道」指導者の対話動画公開さる

 ペルーで9月13日、極秘扱いされていたビデオ動画が公開された。1992年9月逮捕された共産党系地下結社「センデロ・ルミノソ」(SL=輝く道)の最高指導者アビマエル・グスマーンが当時、仮収容されていたカヤオ港沖のサンロレンソ島の拘置所を、同年10月、ブラディミロ・モンテシーノスが訪ねた時の記録だ。

 モンテシーノスは当時、アルベルト・フジモリ大統領の顧問。大統領に次ぐ実力者で、諜報機関を指揮していた。

 画像には、同顧問が「何日か続くアカデミズムの対話を始めるに先立ち、何か必要なものはないか訊きたい」と切り出すと、囚人服姿を強制されていたグスマーンが「これを脱ぎたい。侮辱であり非合法だ」と応える場面が映っている。

 グスマーンは、鉄条網を張り巡らされ重武装の海軍兵たちが警戒する一軒家に収監されていた。話し合いは、そこで行なわれた。顧問が「アカデミズム」を口にしたのは、グスマーンがアヤクーチョ大学の教授だった経歴を踏まえてのことだ。

 2000年に強引に3期目に入ったフジモリ政権は同年11月崩壊、その後、フジモリもモンテシーノスも重罪で裁かれた。皮肉にもモンテシーノスは現在、グスマーンとともにカヤオ海軍基地内の重罪犯刑務所で服役している。

 フジモリはリマで、「元大統領待遇」で服役中。来年4月の大統領選挙で娘ケイコが当選するのを期待している。
 

キューバ共産党が来年4月の第7回大会の準備開始

 クーバ共産党(PCC)のホセ=ラモーン・マチャード第2書記は9月13日、来年4月16日開かれる第7回党大会の準備が始まった、と明らかにした。

 準備は、全国の当細胞であらゆる種類の問題点を取り上げ、これを10月31日から12月初めにかけて州ごとの党会議で議論して仮議題にまとめ、さらに細胞に持ち帰って修正、追加し、最終的に中央委員会で整理し、議題とする。

 前回の第6回大会では、ラウール・カストロ国家評議会議長が党第1書記に就任し、経済改革への市場メカニズム導入を正式に決めた。

 第7回大会では、その後5年間の経過分析、向こう5年間の計画、方針、展望を討議し、人事を決める。 

2015年9月13日日曜日

ベネズエラとコロンビアが国境問題めぐりキトで会談

 ベネスエラとコロンビアは9月12日、南米諸国連合(ウナスール)の仲介により、国境閉鎖問題打開策を探るため、キトで外相会談を開いた。

 会談はエクアドール(赤道国)外務省で4時間続いた。会談にはデルシー・ロドリゲスVEN、マリーア・オルギンCOLの両外相と、立ち合いのリカルド・パティーニョ赤、ロドルフォ・ニンURUの両外相が加わった。

 パティーニョ外相は、会談は満足のゆくものだった、と述べた。ウルグアイ政府はVEN・COL大統領会談をモンテビデオで開くよう提案、両国大統領は合意している。

 この日の外相会談では、首脳会談の日程、議題、解決条件などが話し合われたもよう。両外相はそれぞれ持ち帰って大統領と協議、それによって首脳会談開催が決まる。

チリ軍事クーデター42周年に大統領が民主強化訴える

 チレ軍事クーデター42周年記念日の9月11日、ミチェエル・バチェレー大統領はモネダ宮(大統領政庁)での政府式典で、アジェンデ社会主義政権期に民主勢力が分裂し、軍部、極右、ニクソン米政権などに付け込まれクーデターに至った史実を踏まえ、「民主勢力分裂は誰の得にもならず、祖国喪失につながる」と述べ、民主強化を訴えた。

 サルバドール・アジェンデ大統領は政変当日、政庁に留まり、自動小銃でしばし戦った後、自害した。

 この日、首都サンティゴを中心にクーデターを糾弾する左翼青年らの抗議行動があり、52人が逮捕され、警官ら3人が負傷した。

 またピノチェー軍政期の政治囚拘置・拷問所ビージャ・グリマルディの所長だった陸軍退役大佐マルセロ・モレーン=ブリート受刑囚(80)が11日、軍事病院で死去した。46件の人道犯罪で計396年の禁錮刑に処せられていた。

 モレーンは軍籍を剥奪されていなかったため軍事病院に入院できたのだが、拷問の犠牲者らは、退役大佐として死なれたのが残念だ、と語っている。バチェレー大統領と母親も、この拘置所で拷問された。バチェレーの父親は空将だったが、クーデターに同調せず逮捕され、拷問死している。

 モレーンは、8月に受刑中死去した元国家情報局(DINA)長官マヌエル・コントレラスの側近だった。

 12日には、サンティアゴ市内で1986年9月8日、国家情報機関員に射殺されたジャーナリスト、ホセ・カラスコ=タピア(当時43)の追悼式が、殺害現場で催された。マルセロ・ディアス官房長官も出席した。

 カラスコは、アナリシス誌国際面の編集者で、左翼組織「革命的左翼運動」(MIR)の要員だった。1986年9月7日、独裁者アウグスト・ピノチェーが暗殺未遂事件に遭うと、秘密警察は報復の左翼狩りを展開、カラスコは自宅から拉致され、殺害された。同誌はその後、廃刊されて今はない。

 この暗殺未遂事件の実行者は後に、チレ共産党系の地下組織「マヌエル・ロドリゲス愛国戦線」(FPMR)と判明した。

 13日にも首都で、クーデター犠牲者の遺族らによる追悼行進が予定されている。 

2015年9月12日土曜日

クーバと米国がハバナで第1回二国間協議会開く

 玖米両国は7月20日の国交再開後最初の2国間協議会を9月11日、ハバナで開き、「短期的に決着が必要な議題」として、人権問題や、相互賠償問題などを決めた。この2国間協議会の設置は8月14日、ハバナでの玖米外相会議で決まった。

 クーバからは外務省米国局長ホセフィーナ・ビダル、米国からは国務省米州担当副・次官補アレックス・リーが出席した。第2回協議会は11月、ワシントンで開かれる。

 バラク・オバーマ米大統領は11日、対玖経済封鎖を支える法律の一つ、対敵通商法のクーバへの適用を1年間延長することを決めた。14日で期限切れになろうとしていた。

 米政府は過去、中越朝3国にも適用していたが、現在では対玖のみ。米議会での対玖経済封鎖解除の動きが急には進まないことから、法的整合性のため適用を延期したもよう。11日のハバナ協議でも経済封鎖解除は議題に入らなかった。

 アイチ(ハイチ)のポルトープンラス港に11日、米海軍病院船コンフォートが入港、ハイチ駐在のクーバ大使と、ハイチに展開するクーバ派遣医師団700人の代表5人が招かれて病院船を訪れ、交歓した。初めてのことだ。

 ハイチでは、クーバで医術を学んだハイチ人医師800人がクーバ医師団とともに活動している。

 一方、パナマのフアン=カルロス・バレーラ大統領は10日訪玖し、11日、経済協力問題を話し合った。ハバナ西方45kmに建設中のマリエル経済特区(ZEDM)と、パナマ運河および、運河カリブ海側にあるコロン自由貿易地域との協力関係確立も議題になった。

 

グアテマラ大統領選挙、2位はトーレス候補有望

 グアテマラ選管(TSE)は9月11日、6日実施の大統領選挙の開票率が99%を超えた段階で、得票率2位のサンドラ・トーレス97・76%(96万7242票)、3位のマヌエル・バルディソーン19・64%(96万1284票)と発表した。

  だが、最終結果の発表は14日以降になると明らかにした。

 わずか5958票差の大接戦だ。10月25日実施の決選には得票率約24%(110万票)で1位のジミー・モラレスが進出を決めている。その相手はトーレスとバルディソーンのいずれか一方だが、トーレスになる公算が大きくなりつつある。

 選管は11日中にも最終結果を発表する見込み。バルディソ-ン陣営は10日、「不正開票の可能性」を非難したが、選管はこれを一蹴した。

キューバが法王来訪に先立ち受刑囚3522人を恩赦へ

 クーバ政府は9月11日、19日からのフランシスコ法王来訪に先立ち、受刑囚3522人を3日以内に恩赦で釈放すると、共産党機関紙グランマを通じて発表した。

 釈放対象者は、60歳以上の者、20歳未満の初犯、病人、女性、来年出所予定者ら。

 殺人、強姦、強盗、国家安全、家畜違法と殺、麻薬、未成年蹂躙、暴力男色などに関係する犯罪者は恩赦対象にならない。

 政府は、前2回の法王来訪時にも受刑囚を釈放している。

2015年9月11日金曜日

国連総会が「債務再編は債務国の主権」とする決議を可決

 国連総会は9月10日、債務国の債務再編は主権に基づいて行なわれる、とする「債務再編の新しい基本原則」を可決した。暴利をむさぼる債権者中の少数者が、裁判所の判断を得て債務返済政策を破壊するの防ぐ措置である。

 「禿鷹ファンド」に債務返済政策を撹乱されてきたアルヘンティーナが防衛措置として提案、一年がかりで債務諸国とともに決議案を策定してきた。

 国連発展途上77カ国グループ(G77)と中国が支援、南アフリカが代表して決議案を提出。賛成136、反対6(米日英独加イスラエル)、棄権41で可決された。拘束力はない。

 メヒコ、コロンビア、韓国、豪州、乳国や、英独を除く欧州諸国は棄権した。

 決議は9項目で、債務再編が債務国の経済成長や社会生活を損なってはならない、との一項も含まれている。

 拘束力はないが、反対国が6カ国しかなかったことから、今後の債務再編で影響力を持ちうると見られている。

 亜国では、クリスティーナ・フェルナンデス大統領がテレビ演説し、決議採択を祝った。
 

ベネズエラの極右指導者に禁錮13年余の実刑判決下る

 ベネスエラの一審法廷は9月10日、昨年2月カラカスで発生した街頭暴力事件時に犯罪に関与した極右政党「人民意志」(VP)指導者レオポルド・ロペス被告(44)に禁錮13年9カ月7日の実刑判決を言い渡した。

 罪状は、公然煽動、放火、私有財産損傷など。弁護士は、控訴する方針を明らかにした。

 同様の罪で裁かれていた学生3人の被告には、4年半から10年半の執行猶予付き禁錮刑が言い渡された。3人は定期的に裁判所に出頭することを義務付けられた。

 2013年3月にウーゴ・チャベス大統領が癌で死去、翌月の大統領選挙で後継者のニコラース・マドゥーロ現大統領が野党連合MUD候補に僅差で勝った。同年12月の地方選挙では、政権党が圧勝した。

 選挙で勝てないMUDの強硬派は政権を揺さぶるため激しい非合法活動に出、ロペスは首謀者格として逮捕された。

 この国では12月6日、国会議員選挙が実施される。そこへ向かって状況は動いており、ロペスへの実刑判決は反政府勢力の抗議行動を勢いづけるもよう。

 合法活動を維持するMUD内の穏健派は非合法活動に批判的で、MUDは内部が割れている。

キューバで「女ゲリラ、タニア展」開かる

 チェ・ゲバラのボリビア日記に「タニア、ラ・ゲリジェーラ」(女ゲリラ、タニア)と記されたタマラ・ブンケ=ビデル(1937~67)の遺品が、クーバ・サンタクラーラ市のチェ・ゲバラ彫刻複合体の博物館で8月29日から展示されている。

 タマラはナチによる迫害を逃れてアルヘンティーナに移住した両親の下、ブエノスアイレスで生まれた。一家は1952年東独に行った。西独両語ができるタマラは、チェ・ゲバラがベルリンを訪問した折、通訳を務めた。

 その後、ハバナに渡り、諜報訓練を受け、64年ボリビアの政治首都ラパスに行き、ゲバラのゲリラ部隊のために連絡支援網を構築した。当時の軍政大統領レネー・バリエントスら高官たちとも知己になるほど政府中枢に食い込んだ。

 だが67年3月、ゲバラらのゲリラ部隊拠点にレジ・ドゥブレ(レジス・ドブレ)らを案内した際、身元が暴かれ、ラパスに戻れなくなった。仕方なく戦闘服をまといゲリラの後衛隊と行動を共にしたが、67年8月31日、渡河中に政府軍の待ち伏せに遭い、撃たれて急流に倒れ込み死亡した。29歳9カ月の命だった。

 日系ボリビア人ゲリラ、フレディ・マエムラも同じ待ち伏せで捕虜になり、拷問され殺された。

 遺骨は98年発見され、ゲバラ複合体の霊廟に安置された。マエムラの遺骨もそこにある。

  遺品はベルリン在住のタマラの母ナディア・ビデルが地元の独玖友好協会に寄贈、これを1年がかりで選別。ベルリン工科・経済大学の図書館学教授オリヴァー・ルムブらが作業に携わった。

 手帳、教科書、葉書、新聞記事、レコード、映画などが、「タマラ・ブンケ 神話と真実の狭間で」展に展示されている。1960年にクーバ国立バレエ団が東独公演した際、団長でプリマのアリシア・アロンソがアコーディオンをタマラ母娘に弾いて聴かせる情景を写した珍しい写真も展示されている。

 タニア展は、玖女性連盟(FMC)創設54周年を記念する行事の一環。FMC初代会長の故ビルマ・エスピンは、ラウール・カストロ国家評議会議長の妻だった。

 別件だが、クーバは10日、米自由連合国ミクロネシアと国交を樹立した。7月の玖米国交再開を受けて実現した。国交樹立協定は、パプアニューギニア開催の第46回太平洋島嶼会議の場で調印された。

チェ・ゲバラめぐり伊高浩昭と柳原孝敦が「読書人」で対談

◎9月11日発行の「週刊読書人」が伊高浩昭と柳原孝敦東大教員(西語文学者)との対談を掲載

 伊高浩昭著『チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書)刊行を機に、「読書人」の明石健五編集長の司会により対談がなされた。

 第1~2面全面、および3面の一部に及ぶ長い記事で、編集部作成の題は「ゲバラの夢見た世界とは  キューバ-米国国交回復は何を意味するか」。

 私は、「チェ・ゲバラという革命家はあまりにも文人でありすぎた。自分自身を題材として本を書くノンフィクション作家という面が強かった」と指摘した。

 玖米国交再開については、「米政府がキューバの社会主義体制を初めて公認した」重要性などに触れた。

 [この対談に興味のある人は「読書人」紙本社に問い合わせていただきたい。「読書人」は図書館でも読むことができます。]

2015年9月9日水曜日

映画「アジェンデ、我が祖父アジェンデ」がチリで封切られる

 今年のカンヌ映画祭最優秀ドキュメンタリー賞に輝いた『アジェンデ、我が祖父アジェンデ』(90分)が9月4日からチレ首都サンティアゴで上映されており、好評を博している。

 監督マルシア・タムブッティは、アジェンデの娘イサベル・アジェンデ=ブッシ現上院議長の娘。故サルバドール・アジェンデ大統領の孫娘だ。

 1970年9月、社会党指導者だったアジェンデは、共産党などと人民連合(UP)を組んで大統領選挙に出馬、得票1位になり、議会内選挙で当選、11月就任。自由選挙で生まれた世界初の社会主義政権となった。

 だが社会主義政策を敵視した支配階層、軍部、ニクソン米政権が連携、73年9月11日、ピノチェー陸軍司令官率いる軍事クーデターで倒された。アジェンデは辞任せず、政庁内で自殺した。

 この映画は、家族・肉親の立場からアジェンデの素顔と、クーデター後の一族の胸の痛み、困難を描いている。 

グアテマラ前大統領が収賄罪などで起訴さる

 グアテマラ検察庁は9月8日、オットー・ペレス=モリーナ(OPM)前大統領の予審聴訴で、収賄罪などによりOPMを起訴した。

 OPMは1日、国会により免罪特権を剥奪され、2日逮捕状が出されたため辞表を国会に提出、3日国会がこれを受理したが、事実上の弾劾だった。OPMは3日から首都グアテマラ市内にある軍刑務所で拘置されている。

 予審は3、4、8日と3日間続いたが、次回は12月21日開かれ、弁護側が陳述する。本裁判開始が決めれば、それは来年になるもよう。

 OPM被告は自宅軟禁処分を求めたが、法廷は証拠隠滅、捜査妨害をする恐れがある、として拘禁を解かないことを決めた。

ベネズエラ外相が米国務長官と関係正常化で電話会談

 ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は9月8日、ジョン・ケリー米国務長官と両国関係正常化について同日電話で話し合った、と明らかにした。ケリー長官の要請による電話会談で、長官から電話がかかってきたという。

 外相は、話し合いは口角泡を飛ばすもので、時には緊張した、と語った。両国関係はチャベス前政権期から大使不在となっている。この「外交関凍結」を溶くため、両国は話し合いを続けてきた。

 一方、ニコラース・マドゥーロ大統領は8日、密輸と武装集団を取り締まるためとしてコロンビア国境の閉鎖区間を拡大、国境地帯は混乱状態にある。

 マドゥーロと、コロンビアのJM・サントス大統領は国境問題解決のためウルグアイで会談することになっている。

2015年9月8日火曜日

キューバ第1副議長が金正恩北朝鮮総書記と会談

 北朝鮮訪問中のクーバ国家評議会のミゲル・ディアカネル第1副議長は、ピョンヤンで金正恩総書記と会談した。玖共産党機関紙グランマが7日報じた。

 ラウール・カストロ議長の後継者の地位にある第1副議長は、両国国交樹立55周年を記念して訪朝した。昨年10月、両国は貿易決済協定に調印している。

 因みに日本政府は過去数年来、クーバ政府を通じて拉致問題解決の糸口を探ってきた。

チリに南米初の海洋観測所が設立さる

 チリ中南部のビオビオ州都コンセプシオンにこのほど、南米初の海洋観測所が設立された。「チレ海洋観測統合システム」(SIOOCH)で、海軍、コンセプシオン大学などが設立に参画した。

 コンセプシオン市は5年前の大地震の被災地で、これを教訓として観測所が開かれた。

 海洋レーダーから電磁波を海底に送り、その反射で異常を観測する。気象台とも連携し、津波、高潮、赤潮などの発生を予知するのが目的。地震予知にもある程度寄与する。

 別件だが、ピノチェー軍政期に、政治囚殺害で実験したサリンガス製造に関与していた科学者エウヘニオ・べリオスのウルグアイへの拉致と殺害に関わったアルトゥーロ・シルバ元陸軍大尉が4日逮捕された。逃亡中だった。

 シルバは、故独裁者アウグスト・ピノチェーと、右翼紙メルクリオの社主アスティン・エドヮーズの護衛隊長を務めていた。

 ベリオスは、軍政による要人暗殺事件について証言すべき立場にあったが、証言を怖れた軍部諜報機関はべリオスを1991年ウルグアイに連れ去り、95年殺害した。 

グアテマラ大統領選挙は大接戦、決選進出者は未確定

 グアテマラ中央選管(TSE)は9月7日、大統領選挙・決選投票進出候補は5日以内に決定する、と発表した。6日の選挙の投票率は、過去最高の70・38%だった。

 開票率97・71%段階で、得票率1位はジミー・モラレス23・95%、2位はサンドラ・トーレス19・62%、3位マヌエル・バルディソーン19・57%。モラレスの決選進出は事実上確定しているが、その相手となる両候補は1ポイント以下の大接戦で未確定。

 選管は次いで開票率98・22%段階で、いったん開票を停止し、残る票を慎重に数え、最終結果は5日以内に決定する、と発表した。

 8月半ばまでは、政治資金が豊富で、前回選挙前から計8年間、選挙運動をしていた実業家バルディソーンが最有力候補だった。だがバルディソーンは前回選挙時から麻薬資金を選挙資金として使っているとの疑惑があり、決選でオットー・ペレス=モリーナ(OPM)前大統領に敗れた。

 ところが、このOPMが大規模な税関汚職事件の首謀者として摘発され、辞任に追い込まれ、逮捕された。汚職・腐敗への有権者の目はいつになく厳しく、それが清潔感のあるトーレスを浮上させた。

 しかし、5日以内発表という選管判断は、この国の選挙が相変わらず「不正臭」を漂わせていることを印象付けた。

2015年9月7日月曜日

メキシコ失踪学生は当局絡みの麻薬犯罪に巻き込まれたか

 メヒコの教員養成学校生43人の強制失踪事件を2月から捜査してきた米州人権委員会(CIDH)の専門家派遣団は9月6日、半年に及んだ捜査結果を500ページの報告書として発表した。メヒコ政府の捜査結論を覆す内容だった。

 まず、政府当局は昨年9月26日ゲレロ州イグアラ市で起きた事件後、早い段階で、43人は麻薬マフィアの殺し屋に殺され、イグアラの隣のコクーラ市のごみ捨て場で遺体が焼かれた、と結論付け、事件の幕引きを図った。

 ところが、事件発生1周年まで20日という時点で公表された報告は、ごみ捨て場で43人もの遺体を焼くには大量の薪が要るうえ、仮に焼いたとすれば長時間かかり煙が高く上がることから、目撃者がいないはずはないとして、政府の結論を一蹴した。

 報告書は、政府発表にある、イグアラ、コクーラ両市の警察と、イグアラ市を拠点とする麻薬マフィア「ゲレロ・ウニード」の殺し屋が事件に関与したのを認めたが、さらにゲレロ州警察、メヒコ連邦警察、イグアラ市駐屯陸軍第27大隊も関与した証拠がある、と指摘した。

 連邦警察と陸軍が関与したとすれば、大統領に直接、責任が及ぶことになる。

 最も衝撃的だったのは、学生たちが乗っていたバスは政府発表の4台でなく5台で、その5台目はヘロイン、コカインを運ぶのに使われていた可能性がある、との報告書の指摘だ。

 5台目のバスの存在は事件直後から証言や目撃で明らかだったが、政府捜査からは除外され、問題のバスも隠されてしまった。

 CIDH派遣団は米麻薬捜査局(DEA)の協力も得て、「ゲレロ・ウニード」とシカゴの「パブロ・ベガ」を首領とする麻薬取引グループが連携しているとし、イグアラからバスでシカゴまで麻薬が運ばれていた、と報告している。

 学生たちの乗っていたバスが事件当日イグアラで激しい銃撃を受けたのは、麻薬輸送用バスが含まれていたからではないか、と報告書は指摘する。

 43人失踪前、バス銃撃などで学生3人、乗り合わせたサッカー選手1人、流れ弾に当たった通行人の女性1人、バス運転手1人の計6人が死に、17人が負傷していた。

 とくに殺された3人の学生の一人は、警官に別の場所に連れ去られ、殺され、顔の皮を剥かれた。
 
 報告書は、逮捕された容疑者には拷問された者もいるとし、この点の調査も必要だとしている。

 報告書を渡された被害者家族会は、エンリケ・ペーニャ=ニエト大統領に会って説明を求めたいと表明。併せて、CIDH派遣団に真相解明までのメヒコに滞在するよう訴えた。

 アレリー・ゴメス検事総長は、大統領の指示として、「43人のもの」とされる遺骨のうち、身元が確認された1人のものを除く42人の遺骨のDNA鑑定のやり直しを命じた。

 また、これまでのメヒコ側捜査結果を検証し、CIDH派遣団のメヒコ滞在期間を延長する、と発表した。

 この報告書で明らかになったのは、政府(大統領府、国軍、検察、連邦警察)と自治体(ゲレロ州、イグアラ市、コクーラ市)が「麻薬取引絡み」という事件の真相を知りながら、隠し通してきた可能性が濃厚、ということだ。

 

ジャマイカに「シモン・ボリーバル文化センター」開所

 ジャマイカの保養地モンテゴベイで9月5日開かれた第10回カリブ石油連帯機構(ペトロカリーベ)首脳会議は、加盟諸国の経済・貿易状況を改革するための機関として「経済理事会」を創設することを決めた。

 会議はまた、加盟国の民生安定化と社会改革のための「カリブ社会保護計画」策定、域内に経済地域を設立する「10カ年計画」も採択した。ペトロカリーベ向けに割り当てられているベネスエラのオリノコ油田の一部の開発促進も決まった。

 会議に出席したベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は6日、首都キングストンで、ジャマイカのポーシア・シンプソンミラー首相とともに「シモン・ボリーバル文化センター」を開いた。

 大統領は記念演説で、「ラ米・カリブ(LAC)諸国は、団結してのみ世界の列強と闘うことができる」と述べた。9月6日は、解放者ボリーバルがキングストンで「ジャマイカ書簡」を書いた200周年記念日に当たる。

 マドゥーロは6日夜、カラカスに帰着した。ヴェトナム、中国、カタール、ジャマイカ4カ国を歴訪したが、中国では対日戦勝70周年記念行事に出席し、プーチン露大統領と原油価格安定化について会談した。カタールでも首長と会談し、石油輸出国機構(OPEC)加盟国と非加盟産油国との首脳会議開催を提案した。
 

米連邦捜査局がガルシア=マルケスを24年間監視

 昨年4月メヒコ市で87歳で死去したコロンビア人ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(ガボ)は、1961年から24年間、米連邦捜査局(FBI)によって監視されていた。ワシントンポストが5日、解禁された米政府文書を基に報じた。

 ガボは1961年ニューヨークに行き、クーバ通信社プレンサ・ラティーナ(PL)支局を開いた。妻と長男ロドリゴを伴っていた。同年初め、アイゼンハワー政権はクーバと断交していた。

 当時のエドゥガー・フーヴァーFBI長官はガボの監視を命じ、FBIはガボが入国した時点から監視を始めた。ガボ一家はマンハッタンのウェブスターホテルに居を定め、毎月、部屋代200米ドルを支払っていた。FBIは、同ホテルなどガボ周辺に通報者9人を維持していた。

 だがガボは数ヵ月後には解任され、ハバナに戻った後、メヒコに去る。キューバの人民社会党(PSP、当時の共産党)がPLの編集権を握ったため、ガボらラ米人ジャーナリストの大方は排除された。

 ガボの長男ロドリゴは現在、映画人としてロサンジェルスに住むが、「当時、監視されていたという記憶はないし、監視される理由もなかったはずだ」と語っている。
 

グアテマラ大統領選、決選の公算膨らむ

 9月3日にオットーペレス=モリーナ退役将軍が大統領辞任に追い込まれたグアテマラで6日、総選挙の投票が始まった。正副大統領、一院制国会の議員158人、中米議会議員20人、338市長を選ぶ。有権者は750万人。

 注目の大統領選挙には14人が出馬している。だが実質的には、ジミー・モラレス(46、国民結集戦線FCN、右翼)、マヌエル・バルディソーン(45、改新民主自由党LIDER、右翼)、サンドラ・トーレス(59、希望国民連合UNE、中道進歩主義)の3候補の争いで、このうち2人が10月25日実施の決選投票に進出すると見られている。

★開票率35%段階での選管第1回発表によると、モラレス25・9%、バルディソーン19・3%、トーレス17・9%。

 喜劇俳優でテレビキャスターを務めたモラレスは、前大統領が中心になっていた大規模な汚職事件で有権さが「変わり種=新鮮さ」を求めたことから人気が急上昇し、世論調査で8月下旬、1位に躍り出た。FCNには軍部の一部も加わっている。

 バルディソーンは前回決選で敗れ、2度目の挑戦。8年がかりで選挙運動してきたため有利に選挙戦を展開すると見られたが、以前からつきまとっていた麻薬資金疑惑が前大統領らの絡んだ事件の傍系として改めて指摘され、支持が伸び悩んだ。

 トーレスはアルバロ・コロム元大統領の夫人だったが、離婚して選挙運動を続けてきた。

2015年9月6日日曜日

キューバのミゲル・ディアスカネル第1副議長が北朝鮮訪問

 キューバのミゲル・ディアスカネル第一副議長は9月5日、北京からピョンヤンに到着、北朝鮮公式訪問を開始した。空港には、最高人民会議の金永南常任委員長らが出迎えた。

 第一副議長は、両国関係は金日成、金正日両指導者とフィデル・カストロ、ラウル・カストロ両議長の下で発展し強固なものなっている、と述べた。

 ディアスカネルは2018年2月、ラウールから国家評議会議長職を引き継ぐことになっており、外交も「帝王学」の一環として展開している。

ベネズエラ大統領がOPEC加盟・非加盟国の首脳会議提案

 ジャマイカの保養地モンテゴベイで9月5日、カリブ石油連帯機構(ペトロカリーベ、19カ国加盟)の第10回首脳会議が開かれた。盟主ベネスエラのニコラース・マドウーロ大統領は開会演説で、「ペトロカリーベが存在しなかったとしたら、カリブ海は、アフリカや中東から大量の難民が欧州を目指す地中海のようになっていただろう」と述べた。

 同大統領はまた、ペトロカリーベの2015~25年「統合的10年計画」を提案した。機構は故ウーゴ・チャベス前VEN大統領の主導で2005年6月29日発足した。計画は、石油エネルギーを基に、第2・10年期の域内発展を目指す。

 会議にはジャマイカのポーシア・シンプソンミラー首相、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領らが出席している。

 マドゥーロはカタールのドーハから到着したが、石油輸出国機構(OPEC)の加盟・非加盟産油諸国の首脳会議開催をカタール首長に提案した。大統領は、原油の国際価格は「少なくとも1バレル=70米ドルが必要だ」と語った。

 一方、ベネスエラ・コロンビア間の北部国境閉鎖問題で解決策を探っている南米諸国連合(ウナスール)のエクトル・ティメルマン亜外相とマウロ・ヴィエイラ伯外相は5日モンテゴベイで、マドゥーロ大統領、デルシー・ロドリゲスVEN外相と会談した。

 亜伯両外相は4日ボゴタで、コロンビアのマリーア・オルギン外相と会談、5日にはカラカスでホルヘ・アレアサVEN副大統領と会談している。打開策として、マドゥーロと、コロンビアのJM・サントス大統領が会談する方向にある。

 同両外相は、ウルグアイのタバレー・バスケス大統領提案の、モンテビデオでのマドゥーロ・サントス首脳会談実現を打診してきた。[9月7日までに両大統領はモンテビデオ会談に合意した。]



ブラジル社会運動再組織のためFBP結成さる

 ブラジル・ミナスジェライス州都ベロオリゾンチの州議会前で9月5日、社会運動、学生団体、政党などの代表約2000人が会合し、社会運動再組織のため「人民ブラジル戦線」(FBP)を結成した。

 FBPは声明を発表し、生活苦、税制改革実施、腐敗取締り、合憲政権(ルセフ現政権)に対する政変の陰謀糾弾などを訴え、政経両面の改革を呼び掛けた。

2015年9月5日土曜日

ベネズエラ大統領がカタールを訪問

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月4日、カタールの首都ドーハに到着、タミド・ビン・ハマド首長と会談した。大統領はヴェトナムと中国を歴訪後、カタールを訪れた。

 マドゥーロは5日、ジャマイカ東北部の保養地モンテゴベイに行き、カリブ石油連帯機構(ペトロカリーベ)首脳会議に」出席する。

 次いで6日、首都キングストンでポーシア・シンプソンミラー首相と会談。その後、「シモン・ボリーバル文化センター」の開場式に臨む。

 南米北西部の解放者ボリーバル(1783~1830)は、戦いに敗れ1815年、英植民地だったジャマイカに亡命した。その折、モンテゴベイ近郊の英国系ジャマイカ人ヘンリー・ギジェンの書簡に応えて、キングストンから返信を出した。

 それが有名な「ジャマイカ書簡」で、1815年9月6日付だった。その100周年にちなみ文化センターが開かれる。

 書簡は、ラ米解放闘争の経過と展望に言及、英国の独立派支援を促している。だがボリーバルは、捲土重来を期して、ハイチから支援を受けることになる。

米州人権委がメキシコ学生事件で拡大捜査を要請

 メヒコ・ゲレロ州イグアラ市で昨年9月26日起きた教員養成学校生43人強制拉致事件の捜査に協力している米州人権委員会(CIDH)専門家派遣団は9月4日、メヒコのアレリー・ゴメス検事総長と会談、あらためて捜査対象を広げるよう要請した。

 その捜査対象は、イグアラ駐屯陸軍大隊、当時のアンヘル・アギーレ州知事、イグアラ政界の三方面。派遣団は大隊から直接事情聴取しようと試み政府に拒否された経緯がある。

エクアドール水質汚染で米シェヴロン社に賠償命令

 カナダ・オンタリオ市にある最高裁法廷は9月4日、米シェヴロン石油会社に対し、エクアドール・アマソニアでの環境破壊の賠償金95億ドルを被害者に支払うよう命じる判決を下した。

 シェヴロンが2001年に買収した米テキサコ石油会社は1964年から92年にかけ、アマソニアで油田を開発、原油をあちこちの池や窪地に備蓄ないし放置し、500万立方mの土、および河川、湖水、地下水を汚染させたとされる。

 エクアドール最高裁は2011年、シェヴロン社に95億ドルの支払いを命じていた。同社は、「法的根拠がない」などとして、判決を無視してきた。今回も同様の態度を示している。

 水質汚染で生活基盤を奪われた3万人の被害者・家族は判決を歓迎、カナダにあるシェヴロン資産だけでも95億ドルを賄えると見ている。 

アルゼンチンにシリア難民100人が滞在

 アルヘンティーナ移民局は9月4日、昨年10月発効したシリア難民に対する「人道的査証特別発給制度」によって100人を超えるシリア人が亜国に来た、と明らかにした。この制度は10月21日失効する。

 亜国には、カルロス・メネム元大統領をはじめ、シリア・レバノン系移民と子孫が少なくなく、各界で活躍している。

チリ政府が9月4日を「ワインの日」に指定

 チレで9月4日は「国のビノ(ワイン)の日」になった。ミチェル・バチェレー大統領はこの日、政令に署名し、「ワインの日」が公式に制定された。

 チレは世界第4位のワイン輸出国。中部のアンデス山脈裾野から太平洋岸に至る地帯に葡萄畑が拡がっている。今年は既に12億8700万ルットルが生産されている。輸出額は現在18億ドルだが、2020年には30億ドルにする方針。

 ラ米ではチレとアルヘンティーナが2大ワイン生産国。亜国のビノ・ティント(赤ワイン)がこってりしているのに対し、チレ産はさらっとしていてコクがある。

2015年9月4日金曜日

ベネズエラとロシアが原油価格安定化で首脳会談

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月3日、北京でウラディーミル・プーチン露大統領と会談し、低迷している国際原油価格の安定化について話し合った。

 両国とも原油収入が歳入の多くを占める大産油国。だがベネスエラが加盟する石油輸出国機構(OPEC)も非加盟のロシアも、価格引き上げのための減産はしない方針。この日の首脳会談でも名案は見つからなかった。

 マドゥーロ大統領は同日北京で、国連のバン・ギムン事務総長と会談、コロンビア人のベネスエラへの大量越境・不法移住を抑え込みたいベネスエラ政府の政策に協力してほしいと要請した。

 両大統領も国連総長も3日の中国戦勝記念日行事に出席した。ラ米からは亜国副大統領、玖第1副議長も出席した。 

キューバに移住したイタリア人ディチェルモ氏が死去

 ハバナ在住のイタリア人ジウスティーノ・ディチェルモ(94)が9月1日、死去した。イタリアで裕福な商人だったディチェルモは、クーバ経済がどん底状態にあった1992年初めて訪玖、苦境に驚き、クーバ支援活動を始めた。

 1997年9月4日、ハバナのホテルで自分の息子が爆弾テロで殺されるとハバナに移住し、クーバ政府の国際連帯活動に積極的に関与した。97年9月には、クーバ共産党の特別党員になった。

 若い時代に反ファシズム・ナチズム闘争に参加したディチェルモだが、 「クーバ革命の友人」の称号を受け、クーバ官民から敬愛されていた。

グアテマラ新政権発足、辞任した前大統領は出廷

 グアテマラ国会は9月3日、アレハンドロ・マルドナード副大統領を暫定大統領に昇格させた。オットー・ペレス=モリーナ(OPM)大統領が2日夜、辞表を提出したのを受け、国会は臨時本会議を開き、これを了承し、暫定大統領を決めた。

 判事出身のマルドナードは就任後直ちに、全閣僚に辞任するよう求めた。新大統領は、OPM前大統領の来年1月14日までの残り任期を務める。OPMは逮捕され、予審にかけられた。

 前大統領が主犯格の税関汚職事件の担当判事ミゲル=アンヘル・ガルベスは3日、OPMの身柄を首都グアテマラ市内にある軍刑務所に予備拘禁する処置をとった。OPMが国外逃亡する可能性があるためという。OPMは3日始まった予審の後、収監された。

 OPMの予審初聴訴で、検察は犯罪関与、税関詐欺、収賄の三つの罪状を挙げた。聴訴は4日続開する。

 OPMの辞任と予審開始で、4月以来、辞任要求行動を続けていた有権者市民は溜飲を下げ、関心は6日に迫った次期大統領選挙に移った。

 14人が出馬しているが、世論調査によれば、俳優、テレビキャスターなどを務めてきた右翼ジミー・モラレス(46、国民結集戦線FCN)25%、保守・右翼の実業家マヌエル・バルディソーン(45、改進民主自由党LIDER)23%、中道進歩主義のサンドラ・トーレス(59、希望国民団結UNE)18%。他の11人は10%未満。

 このため3候補の争いとなり、モラレスとバルデソーンが10月25日の決選に進出する公算が大きいと見られている。

 トーレスは、OPMの前の大統領アルバロ・コロムの夫人だったが、前回選挙に出馬するため離婚した。だが出馬を認められなかった。

 バルディソーンは前回、OPMに決選で敗れた。麻薬資金調達などの嫌疑がかけられている。モラレスは貧困層出身で、貧困大衆層に人気がある。 

伊高浩昭講義録『われらのアメリカ万華鏡』刊行さる

◎伊高浩昭講義録『われらのアメリカ万華鏡』刊行のお知らせ

 私ブログ子は、立教大学ラ米研で2005~13年度の9年間、「ラ米論Ⅱ 現代ラ米情勢」講座の講師を務めました。最終年がラ米研の創立50周年に当たったことから、記念事業として講義録が刊行されることになりました。

 2013年4月から14年1月まで26回の講義の録音を起こし、口語体を部分的に文語体に直し、誤りを正し、正確さを期し、できるだけ重複を避け、表記や記述を統一すべきは統一し、一年がかりの複雑で大変な作業を経て、9月2日刷り上がりました。

 「立教ラテンアメリカ叢書」のVOLⅡで、380ページに及ぶ、分厚く重い本です。西語の題名は、「Caleidoscopio ≪Nuestra America≫」です。

 研究所の記念刊行物のため、非売品です。立教大学をはじめ、全国のさまざまな大学の図書館や研究所に配布されます。興味ある人は、図書館などに当たってみてください。

2015年9月3日木曜日

汚職事件関与で窮地のグアテマラ大統領が辞任

 グアテマラのオットー・ペレス=モリーナ大統領は9月2日、国会に文章で辞表を提出した。ペレス=モリーナは、「ラ・リネア」と呼ばれる税関絡みの大規模な汚職事件の主犯格として告発され、国会は1日、大統領の免罪特権を剥奪。裁判所は同日夜、逮捕状を出していた。

 これまで辞任せず、来年1月までの任期を全うすると主張していたが、国会による特権剥奪と逮捕状発行を受けて急遽、辞任を決意した。

 検察は既に取り調べる態勢をとっている。6日には次期大統領選挙が予定されている。選挙は、大統領に昇格する副大統領の下で実施されることになる。

メキシコ大統領が「法治国家強化」の方針掲げる

 メヒコのエンリケ・ペーニャ=ニエト大統領は9月2日、3回目の施政報告方針演説に臨み、10項目の重点政策を明らかにした。

 法治国家強化、「日常公正国民合意」確立、過疎地での経済特区設立、過疎地での小規模生産者支援、教育基盤整備、英語教育強化、文化省設置、社会投資・貧困対策、社会基盤整備用資金確保、2016年度歳出の緊縮化。

 「法治国家強化」は、未解決のまま26日に一周年を迎えようとしている教員養成学校生43人の強制失踪事件や、麻薬組織首領の脱獄事件を念頭に置いている。だが、学生事件について「国家への信頼を損なった」と指摘した程度で、犠牲者家族や支援者の顰蹙を買った。

 文化政策は長らく教育省芸術庁(INBA)などが担ってきたが、それが独立することになるもよう。

キューバ第1副議長が北京入り、軍事行進出席へ

 クーバのミゲル・ディアスカネル第一副議長は9月2日モスクワから北京に到着し、「対日抗戦博物館」を視察した。副議長は、クーバは1960年に中国をラ米で最初に承認した、と史実を強調した。

 副議長は3日、中国の対ファシズム・対日戦勝70周年記念日の軍事行進など式典に出席する。

 別件だが、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)の輪番制議長国エクアドールの科学技術担当相は2日、CELACと中国は16~18日、NYの国連本部で科学技術担当相会合を開く、と明らかにした。

 一方、クーバの人民貯蓄銀行(BPA)は2日、自営業者は保証人なしに1万ペソ(400米ドル)の融資を受けることができるようになった、と発表した。

2015年9月2日水曜日

米州諸国機構(OEA)がコロンビア提案を否決

 米州諸国機構(OEA、34カ国加盟)は9月1日ワシントンの本部で大使会議を開き、コロンビアがベネスエラ国境閉鎖問題を話し合うため要請した緊急外相会議を開くか否かで採決、わずか1票差で否決した。

 可決には、加盟国の過半数18国の賛成が必要。だが17国にしか達せず、ハリケーン被害に見舞われているドミニカが欠席、5カ国が反対、11カ国が棄権したため、賛成17、賛成以外17の同数となって否決された。

 反対したのはベネスエラ、ボリビア、エクアドール、ニカラグア、アイチ。棄権はブラジル、亜国、パナマ、ドミニカ共和国、スリナム、およびグレナダ、トゥリニダードトバゴなど英連邦6カ国。

 コロンビア、米、加、メヒコ、チレ、ペルー、ウルグアイ、パラグアイ、エル・サルバドール、コスタ・リカ、グアテマラ、オンドゥーラス、および英連邦のジャマイカ、ガイアナ、セントルシーア、バルバドス、バハマの、計17カ国が賛成した。

 これを受けてコロンビアのマリーア・オルギン外相は、国境問題を国連に提議すると述べた。

 一方、南米諸国連合(ウナスール)は1日、今月8日にも同国境問題でウナスール特別外相会議を開く見通し、と明らかにした。ベネスエラは「南米域内の問題はウナスールで解決を」として、OEA介入に反対してきた。

メキシコ・オリサバ市に独裁者P・ディアス像登場

 メヒコ・ベラクルース州オリサバ市の「200周年広場」で9月1日、昔の独裁者ポルフィリオ・ディアス(1830~1915)の銅像の除幕式が催された。元独裁者の銅像が公共の場に建立されたのは初めてと見られている。

 ディアスは1876年から、メヒコ革命で追放された1911年まで35年間、権力を振るった。革命で追われフランスに亡命、パリのモンパルナスに墓がある。

 政権党PRI(制度的革命党)所属のオリサバ市長フアン=マヌエル・ディエス=フランコスは自動車販売代理店主で、私財で銅像を建てたと表明。彫刻家ベルナルド・アルタサンチェスが制作した。高さ3・2m、台座高さ2mで、計5・2m。

 除幕式にはディアスのひ孫5人も出席した。その傍らで、独裁者像設置に反対する市民たちは抗議デモをした。

 一方、ベラクスール港の関係者は1日、オリサバにディアス像が登場したのを受けて、ベラクルース港湾管理局の倉庫にしまわれているディアス像を公共の場に出したいと述べた。

 この関係者もオリサバ市長も、独裁者歿後100周年の今、メヒコ人の和解と、ディアスの遺骨の帰還を促すべきだ、と主張している。

ベネズエラが中国と「開発10カ年計画」着手へ

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月1日北京で、習近平国家主席と会談、協力関係強化で合意した。その後、両国合同委員会に出席、中国から向こう数か月内に原油増産用に50億米ドルの借款が供与されると発表した。

 ベネスエラは累積する巨額の対中債務を、日量70万バレルの原油で「現物返済」しているが、これを日量100万バレルに拡大する方針。新たな借款は、そのために用いられる。

 これは、今回決まった「VEN・中国2015~25合同開発10カ年計画」に含まれる。

 両国はその一環として、ベネスエラに「開発特区」を設置する協定に調印した。さらにトラック製造工場建設が決まり、住宅建設用資材製造工場建設案が検討されている。
  

グアテマラ国会が大統領免罪特権を剥奪

 グアテマラ国会は9月1日、オットー・ペレス=モリーナ大統領(64)の免罪特権を剥奪した。定数158人の国会だが、この日の本会議には剥奪に必要な105人を上回る132人が出席、全会一致で可決した。

 大統領は8月21日、検察庁から大規模な税関絡み汚職事件の主犯格として告発されていた。今後、取り調べられることになるが、逮捕もありうる。最高裁は特命判事を決め、同人の下で捜査が始まる。

 世論は大統領即時辞任を要求してきたが、本人は徹底抗戦を強調、辞任の意思はなく、来年1月までの任期を全うすると繰り返し表明してきた。

 国会の決定を受けて、首都グアテマラ市をはじめ国内各地で人々は喜びの声を挙げた。首都で気勢を挙げた群衆は、「人民はここにいる、大統領はいない」などと書かれた紙やプラカードを掲げていた。

 マヤ人でノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューは、歴史的出来事であり、人民の勝利だ、と述べた。

 ペレス=モリーナは、36年間続いた左翼ゲリラとの内戦で、マヤ人らを徹底的に弾圧、殺戮したした軍部の諜報機関長で、退役陸軍将軍。2011年の大統領選挙で当選、12年1月就任。強面し、大企業や外資を優遇、先住民や農民を弾圧しつつ資源開発、ダム建設などを強行した。だがい今や、財界にも辞任を求められている。

 グアテマラでは今月6日、次期大統領選挙が実施される。その5日前の免罪特権剥奪だった。

2015年9月1日火曜日

ベネズエラ検察が極右政治家らに有罪判決を求める

 ベネスエラ検察は8月31日、極右政治家レオポルド・ロペス被告および学生4人の被告に、公然煽動、犯罪関与、器物損傷、放火の罪で裁くよう、法廷に求めたと発表した。

 ロペスらは2014年2月、カラカスなどで発生した街頭破壊活動(グアリンバ)の教唆や実行犯として逮捕、起訴されていた。検察は昨年7月23日からの公判で証拠や証言を十分に示し、それに基づく審理がなされたとして、有罪判決を求めた。

 一方、ニコラース・マドゥーロ大統領は31日、ハノイから北京に到着した。デルシー・ロドリゲス外相らが同行している。

アルゼンチンで軍政に奪われた孫が新たに発見さる

 アルヘンティーナ軍政期に密かに殺害された親から生まれ、軍人、警官らに与えられた子供が新たに見つかった。奪われた孫たち約400人の行方を追っている「五月広場の祖母たちの会」(エステラ・デ・カルロット会長)は8月31日、ブエノスアイレスの本部で、117人目の孫が見つかった、と発表した。

 DNA鑑定で確認されたのは37歳の女性。両親は西部のメンドサ市に住んでいたワルテル・ドミンゲスとグラディス・カストロで、1976年11月結婚したが、77年12月9日、当局に拉致され、以来消息は途絶えた。

 2人はマルクス・レーニン主義共産党(PCML)の党員だったため、軍政から監視されていた。見つかった女性の氏名などは明らかにされていない。彼女の祖母は「祖母たちの会」メンドサ支部長。

 デ・カルロット会長の孫も昨年見つかっている。