2016年3月17日木曜日

巨匠オルミの「緑はよみがえる」と、英作品「さざなみ」を観る

 エルマンノ・オルミ監督の「緑はよみがえる」(2014年イタリア、76分)を観た。第1次世界大戦中の1917年冬、イタリア北部アジアーゴ高原の戦線で、敵のオーストリア軍と塹壕戦を展開、迫撃砲の攻撃で劣勢に立たされていたイタリア軍部隊の塹壕が舞台だ。

 映画の締めくくりの言葉は、「戦争とは、大地を絶え間なく這いまわる醜い獣だ」。100年前には第1次大戦が展開され、日本も参戦していた。戦略も戦術も兵器も100年で様変わりしたが、戦争の醜さは同じだ。この本質が伝わってくる。反戦を言わずに反戦を語っている。芸術たるゆえんだ。

 オルミは、第1次大戦に出兵した実父の過酷な体験を基に、この映画製作を企図、戦争の愚かさと悲惨さを若い世代に教訓として引き継がせようと、この作品を世に出した。監督の息子が撮影、娘がプロデューサーをそれぞれ担当している。オルミ家3世代に亘る作品のなのだ。

 雪原と、雪に埋まった塹壕という狭く閉ざされた半地下空間に、生死の狭間で蠢く兵士たちの人間模様が見事に描かれている。監督は、兵士を群像として、個人として、丁寧に描いている。

 ナポリ民謡を切々と歌うイタリア軍兵士は、さらに歌うよう所望されると、「歌は幸福でないと歌えない」と応える。私は、クーバ革命戦争中、マエストラ山脈の戦線で歌を口ずさんでいた黒人の司令フアン・アルメイダ=ボスケ(故人)を思い浮かべた。ヘミングウェイの「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」を想起した。

 塹壕という限られた異常な舞台設定で76分、観衆をスクリーンに釘づけにするオルミは、さすが巨匠である。そして多くの場合、巨匠は深く人間的だ。

 この映画は、4月23日(土)から東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。ぜひ多くの人々に観てほしい作品だ。2年前の作品だが、文句なく、既に「戦争映画の古典」となった感がある。戦争の本質が描かれているからだ。

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 同じ日、同じ試写会場で、英国映画「さざなみ」(アンドリュー・ヘイ監督、2015年、95分)を観た。結婚45周年を迎えた老夫婦の心に起きた波紋を上手に描いている。主演のシャーロット・ランプリング(70)はスラブ系のような風貌で、雰囲気は故ローレン・バコールに少し似ている。

 夫は結婚前、山の事故で死別した恋人への思いにかられ、妻はそんな夫に嫉妬からか疑念を抱く。美しい田園の生活を背景に、過去と現在が二重のさざ波のように交錯しながら、結婚45周年祝宴の日が来る。

 夫は祝宴の席で「人生最大の選択は妻との結婚だった」と語り、泣き崩れる。2人は司会者に促されて、ザ・プラターズの「煙が目にしみる」で踊る。「いまや私の恋は過ぎ去り、私には恋(恋人)がない」という歌詞がある。妻の表情は踊りの後も冴えない。

 男の古いロマンは時として女の心を傷つけかねない、というのが主題だろうか。私は、この種の物語は本で読む気はしない。だが映画ならば1時間半、楽しめる。4月9日(土)、東京のシネスイッチ銀座で公開される。