2016年6月17日金曜日

「波路はるかに」プリンス・エドワード島から南下


伊高浩昭「2016~波路はるかに~」第1回

 東京-成田-トロント-シャーロットタウン、13000km、自宅から現地のホテルまで24時間かかった。6月某日、午前1時すぎチェックイン、朝方まで眠り、同じ日の夜また泊まったから、一日に二夜ホテルで費やすという、たまにある体験だった。

 終日、小雨と霧雨に交互に見舞われた。シャーロットタウンは海抜1~2mの街だが、白樺の緑が並び、日本ならば高原だな、と思わせる。

 英国の田舎町そっくりの住居や建物が連なる。ケベック州に近く、フランス風の屋根作りも見られる。教会がやたらに目立つ。大海原を渡った苦難の初期移住者には多くの神が必要だったのだ。

 町外れの海岸近くに古典的な豪邸があった。まさに、これぞマンション、大邸宅だ。博物館になっている。5加ドル払って入館、1870年代に建てられた造船会社経営者の邸宅だったことがわかった。

 大西洋やカリブ海を行き来する大型帆船を建造、一財産を築き、豪邸を建てたのだが、家主一家は5年しか住めなかった。世は、帆船から蒸気船の時代に変わり、対応できなかった造船会社は破産したのだった。

 オイル式暖房装置が130年後の今も健在で、使われている。短期間だったにせよ、いかに栄華の限りを尽くした資産家の邸宅だったかが頷ける。

 島都シャーロットタウンは南岸の入り江にあるが、北岸はセントローレンス湾に面している。

その湾が見える地グリーン・ゲイブルに『赤毛のアン』の架空の家がある。ここが一大観光地になっている。

 日本のTVドラマで、この少女小説絡みの物語が放映されたためというが、日本女性が殺到している!! 私は小学生時代、絵本で『アン』を読んだ記憶があるが、物語は覚えていない。折角ここまで来たのだからと、友人に誘われ、「アンの家」を見物した。「名物にうまい物無し」と言うが、「名所にも。。。。」。

 私は、セントローレン湾、その大河の河口辺りに関心があった。ワシントン・アーヴィングの書いた物語『リップ・ヴァン・ウィンクル』の地だからだ。中学生か高校生の時、英語の授業で読んだのだが、こちらは内容を記憶している。樵(きこり)が森に行くと、九柱戯を遊ぶ人たちに誘われ、遊ぶが疲れて眠ってしまう。

 目覚めると20年の歳月が流れており、一帯は全く変わってしまっていた。リップは恐妻家だったが、その妻も死んでいた。つまり、カナダ版「浦島」である。

 島都に戻る。レストランの入り口には、挟みが大きなロブスターと牛の絵が描かれている。伊勢海老とビーフステーキが2大豪華料理なのだ。両方とも約4000円。安くはない。

 私は敢えて、生牡蠣、茹でシュリンプ、焼き蛤を食べた。3000円。まずくはなかったが、特にうまいと褒めるべき味ではなかった。

 街で何人か、段ボール片に「昨日から何も食べていない」と書いたのを手に、銭乞いする男らの姿を見た。ロブスターと段ボール片の歪(いびつ)な対称。

 島都滞在二日目の昼前、アイスランドのレイキャビックからやってきた、ピースボート世界周遊船「オーシャン・ドゥリーム号」が中5日の航海を経て入港した。若い仲間たちに迎えられて乗船、空の長旅の疲れは気分的には吹き飛んだ。だが肉体に疲れはどにょりと沈んでいる。

 明けた朝、船内の大劇場兼講堂で、ベネスエラ情勢を90分語った。この船は中6日の航海で、一週間後にはカラカスの外港ラ・グアイラに着く。ベネスエラの状況を間近に見ることになる。この旅の山場である。

 半年振りの旅だが、淀んでいた私の人生がまた、旅によって動き出した。