2017年4月7日金曜日

 アルベルト・フジモリ元ペルー大統領による「アウトゴルペ(自作自演クーデター)」から25年。娘ケイコ世代は政変を讃えず、民主制度を重視▼米法廷がメキシコ麻薬組織「ベルトゥラン=レイバ」首領に終身刑と巨額の罰金言い渡す

 ペルーは4月5日、1992年のこの日フジモリ政権が起こした「お手盛りクーデター」(アウトゴルペ)25周年を迎えた。当時のアルベルト・フジモリ大統領は四半世紀前、「非常事態・国家再建政権」樹立を宣言、「真の民主を創る」と強調。国会を閉鎖、司法を再編、マスメディアを規制した。首都リマには戦車部隊が出動、兵士が要所を固めた。

 その後間もなくして選挙を実施、制憲議会を開設。新憲法草案を策定し、国民投票を経て93年に新憲法を公布した。

 25周年のこの日、フジモリは、人道犯罪(殺人)命令罪で禁錮25年の実刑に服している特別の収監場からメンサヘ(メッセージ)を7回発信。「私は現代民主の建築家であり、あの日採った手段には意味があった。みなが今日尊重している現行憲法をつくったのは私だ。4月5日は民主を圧殺したのではなく、救ったのだ。国民の80%が支持した」と述べた。

 93年憲法は、国会を2院制から1院制に変え、大統領の連続再選を1回だけ可能にした。自ら指揮した政変後、大権を握ったフジモリは、自派の国会議員ともめったに会わず、報道を規制。国家情報局の諜報報告を基に施政、この関係で情報局を握っていたブラディミロ・モンテシーノスに頼り切った。「密室政治」が罷り通り、「国家テロリスム」による殺傷事件、逮捕・拷問事件が続発した。

 90年大統領選挙決選で作家マリオ・バルガス=ジョサを破って政権に就いた数学者フジモリだったが、白人富裕層、伝統的保守政界、海軍などによる政変の陰謀に直面。安定政権を築くため、陸軍や警察と組んで「自作自演の政変」を打ったのだった。

 だが95年に再選を果たしたフジモリは、1回だけの連続再選を拡大解釈し、2000年選挙に強引に出馬、3選を勝ち得た。これが墓穴を掘った。孤立し、アジア外遊の帰途、帰国せず、父母の祖国・日本に亡命した。

 しかし政権に返り咲きたい野心から、チレ経由での帰国を決意。2005年11月チレで逮捕され、後に身柄をペルーに引き渡された。裁判を経て服役している。

 娘ケイコ・フジモリは2011、16両年の大統領選挙に出馬、いずれも決選で惜敗した。対立候補が父フジモリのクーデターを攻撃、これで勝利を阻まれた。現在、国会ではケイコの政党「人民勢力」(FP)が圧倒的多数を握る。だがPPクリンスキ大統領の新自由主義政権に是々非々主義で対応している。

 フジモリの熱烈な支持者であるマルタ・チャベス元国会議員(現FP顧問)は、25年前の政変について「当時、国土の40%はゲリラの影響下にあった。国を内戦から救ったのだ。<4・5>を破壊活動へのクーデターと捉えれば、フジモリは国家に貢献したことになる」と説いた。

 だが世代交代も進み、ケイコを含めFPの若手・中堅幹部らは、国会を閉鎖した政変を肯定することはない。「アルベルティスタ」(フジモリ元大統領派)は、マルタら少数派になっている。

▼ラ米短信    ◎メヒコ人麻薬組織元首領に米法廷が終身刑言い渡す

 ワシントン地裁は4月5日、メヒコ北西部に根を張る麻薬組織「ベルトゥラン=レイバ」(BL)の元首領アルフレド・ベルトゥラン=レイバ(46)に終身刑と罰金5億2900万ドルを言い渡した。

 直接的な罪状は、2000~12年、米墨国境越しにコカイン29・7トンを米側に密輸したこと。米検察は求刑で罰金を100億ドルとしていた。

 アルフレドは08年1月逮捕、14年11月、身柄を米国に引渡され、16年2月有罪となっていた。BLは90年代に麻薬組織シナロアマフィアと連携したが今世紀になってから対立、シナロアの裏切りと見られる密告でアルフレドは逮捕された。兄アルトゥーロも09年12月、国軍に包囲され射殺された。