2018年5月18日金曜日

 1982年のマルビーナス(フォークランド)戦争中の人道犯罪を新たに追及▼アルゼンチン軍新兵を拷問した元上官らに逮捕命令▼厳寒の前線でいじめの悪行▼ウルグアイでは「政治囚記念碑」が完成▼ベネズエラの選挙戦終わる。来賓マラドーナが踊る

 亜国検察は5月16日、1982年の亜英マルビーナス(フォークランド)戦争中に徴兵された新兵たちに拷問的仕打ちをした当時の国軍士官・下士官系26人を人道犯罪容疑で逮捕すると明らかにした。検察は、人道犯罪ゆえに時効はないと説明している

 開戦当初、亜国軍は英植民地マルビーナス諸島を占領、訓練の不十分な新兵多数を諸島に送り込んだ。季節は4~6月で、亜国東方400kmの南大西洋にある同諸島の気候はは晩秋から初冬の寒さ。

 新兵たちは食糧と防寒服の支給不足に不満で抗議、栄養失調になり、現物を盗む者もいた。すると上官らは特に窃盗者に対し、夜間薄着のまま屋外の杭に縛り付けたり、冷水につからせたりし、最もひどい場合は、首から上だけ地上に出す「埋め込み」をした。みぞれの中、日夜「埋め込み」に遭い、衰弱し野戦病院に運ばれる者もいたという。

 検察に被害22件について告発した被害者らは、陸軍第3歩兵師団第5歩兵連隊所属の部隊に配属され、諸島の最前線に送り込まれた元新兵70人の一部。英軍の襲来で脱出したが、平均15~20kg体重が減っていたという。

 1976年3月クーデターで政権を握った亜国軍部は、3代目のレオポルド・ガルティエリ将軍大統領が対英開戦に踏み切り敗北、翌83年、4代目が民政移管に追い込まれた。7年余り続いた軍政下で市民3万2000人が殺害された。その中には、遺体が見つからず「行方不明者」扱いされている者も少なくない。

 極悪非道の軍政は市民の自由と命を奪ったほか、経済を破綻させ、権勢は地に落ちていた。起死回生の大博打として打ったのが勝算のない無謀な対英戦争で、見事に敗北した。
 最前線に巷の青少年と変わらないような新兵部隊を派遣し、人道犯罪行為をするなど、軍政は上から下まで倫理が腐り切っていた。

 既にほとんどが退役している元士官・下士官らが逮捕、起訴され法廷に立てば、マルビーナス戦争の暗部があらためて明るみに出るはずだ。
 当時、この戦争を亜国側から取材した筆者は、この司法案件の行方に関心を抱いている。

▼ウルグアイに政治囚記念碑

 ウルグアイ・サンホセ県にある旧リベルタ―刑務所には、1960年代末から80年前半にかけてのゲリラ戦および軍政期に多数の政治囚が収容された。拷問され、30人が殺された。

 5月15日、刑務所近くに完成した「リベルター刑務所記念空間」の除幕式が挙行された。この記念碑は高さ15mで、壁面には元政治囚2872人の氏名が刻まれている。制作者は2人の建築家で、いずれの親も元政治囚。
 「リベルタ―」は自由を意味する。なんと皮肉で冷笑的な刑務所名だったことか。

▼ベネズエラ選挙戦終了

 5月20日の大統領選挙の選挙戦は17日終了した。再選を目指すニコラース・マドゥーロ大統領の政権党連合は、カラカス目抜きのボリーバル大通り中心部を埋め尽くして最後の集票運動を展開。
 大統領は壇上で歌い、夫人と踊った。駆け付けた元亜国サッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナは壇上で「私はマドゥーロの戦士」と叫び、VEN民俗歌謡に合わせて踊りながらVEN国旗を振った。